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日本から遊びに来てくれた友人のお嬢さんと2週間弱一緒に生活をして、ここダーバンで私が最近触れていない、“あること”に気づかされました。
その“あること”とは、そのこと自体に気づくのさえちょっと時間がかかって、でも、その後、ゆっくりと、自然に手が胸に上がってきて、くちびるがほころんで、「はぁ」、と小さなため息をつきたくなる……。それは、そんな、日本の少女の“優しさ”のことです。 南ア移住前の私の仕事は、日本の英語の先生たちに“国際理解教育”という概念を含んだ英語の教え方を、オリジナルな教材を通して伝えていくことでした。その一環として、東京の外れにあった私の自宅で開いていた教室で、私は小学生から高校生までの日本の子どもたちに囲まれていました。 そこで、繰り広げられる子どもたちの何気ない話や打ち明け話に何度胸を熱くしたことでしょう。一見、乱暴にさえ聞こえる子どもたちの中にある小さな“優しさ”。気をつけていないと、目の前をものすごい速度で通り過ぎてしまうような“優しさ”です。別の言葉でいえば、子どもたちの仲間に示すちょっとした“思いやり”でしょうか。 昭和30年代に育った私とは、明らかに異なる環境に生きる現代の日本に住む子どもたち。でも、彼らの中には時代を超えても何ら変わることのない暖かい優しさがたくさんありました。 でも、多くの大人が現代の日本の子どもを非難します。 「我慢が足りない」 「感謝を知らない」 「礼儀をわきまえない」 「人の心を分かろうとしない」 そういった批判を聞くたびに、私はこういう大人は子どもたちに心を開いてもらっていないのだろうなぁ、と思います。 子どもたちは大人と違い、自分の損得で自分を語ることはあまりないと思うのです。特に日本のように、直接的な飢餓や戦争といった大きな危険から守られている国に住む子どもたちは、大人との付き合い方が途上国の子どもたちとは異なります。 子どもたちが大人に表立った敬意を表さない風潮は、ある程度の裕福度がある社会では共通のことです。私はこれを米国でも、欧州でも、日本でも身近に見てきました。でも、これは子どもが選んでしていることではありません。だから、これをして先進国の子どもの大人への態度を非難するのはお門違いです。 現代の日本社会で起こっている子どもたちの犯罪だって、これは社会の中心にいる大人たちが猛反省することだと私は思っています。どうして、親を殺すまでに子どもたちが追い詰められているのか。しかも、親を殺す明確な理由もなしに行われるこういった事件は、個別にその理由を探すことも必要ですが、社会として何を子どもたちに示していくべきか、を大人全体が考える時期に来ていると思うのです。 さて、話は元に戻って、この14歳のリコちゃんの“優しさ”をちょっとお話しましょう。 リコちゃんとヤコちゃんは5歳違いの姉妹です。 リコちゃんはとっても真面目なお姉さんで、妹ヤコちゃんの活発で怖いもの知らず、末っ子ならではの奔放な性格にちょっとめげるときもあるのでしょう。ヤコちゃんの発言の中にちょっとずうずうしいニュアンスが続くと、「ああああ、もういい加減にして!」と思うときもあるようでした。 でも、私も二人の妹がいますから、これはもう自然な姉妹の葛藤であることがよく理解できます。 ところが、ある日のこと、買い物に出かけた先で、ヤコちゃんのことをとっても可愛らしい、と思ったインド人のおばさんから、「この子はかわいい男の子ね!」とヤコちゃんが言われたのでした。 ヤコちゃんは「えっ?いま、なんて言ったの?」と聞きます。 その時ちょうど一緒にいた姪が、そのまま英語を日本語に訳そうとしたのです。すると、リコちゃんが、ヤコちゃんに見えないように、姪に首を振って、 「ヤコが元気で可愛いい、って言っているみたいよ」 と、あえて彼女のことを男の子と間違えたことを言わせなかったのです。 これは、リコちゃんにとっては何気ないことなのかもしれません。 でも、私の周りの日本人でありながら南アフリカの社会で育つ甥や姪、ショウコなどには、ヤコちゃんが男の子に間違われたことは、そのまま本人に伝えても、何も差し障りのない程度の内容と理解しているはずです。「ははは、男の子に間違えられちゃったね!」でケロッ、と皆で大笑いしてお終い!でしょう。 でも、リコちゃんには、ヤコちゃんが、自分が男の子と間違えられたことで、あとでちょっと、「……むむむ」と、眉をひそめることが想像できてしまったのでしょう。 たまには、「ああ、うるさい妹!」と思うこともあるはずなのに、こういったとっさの時に、瞬時に相手の感じ方まで慮って、自分の行動に移せる“優しさ”は、日本の子どもたちのきらきら輝く特技だと思います。こういった細やかな思いやりがどれだけ日本の文化の中で重要視されてきたことでしょう。 リコちゃんのこの優しさは、お母さんの優しさのカーボンコピー。遠くから人を優しく慮る亜紀子さんの元で育つからこそ、こういう細やかな心遣いができる少女に育っているのです。 そして、周りにいる大人は、そういった小さな“優しさ”を身近に見かけたら、どんどん子どもたちにその素晴らしさを口に出して褒めてあげて欲しいと思います。 私は、このリコちゃんのヤコちゃんに示してくれた、この“小さな優しさ”、に触れさせてもらって、「はぁ」とため息がでて、心が軽くなりました。「ああ、なんて素敵な思いやりだろう」と、その後、何回もこのことを思い出して心が弾みました。 リコちゃん、ありがとう! リコちゃんの優しさは本当に素敵。そして、英語だって、あのインド人のおばさんの英語がしっかり理解できた、ということはたいしたものです。自信を持ってね。 人のつながりとは不思議なもの。一回つながった線はお互いが大切に扱うことによって、太く、長く、延々と繋がっていくのです。 20年前のリコちゃんのお母さんとの出会いが、こんな形で私たちにこの素敵な日本の少女とのひと時をプレセントしてくれました。 リコちゃん、ヤコちゃん、亜紀子さん、またいつでも、アフリカに遊びにおいでね! ■
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by yoshimuramineko
| 2008-08-25 03:08
| この人が素晴らしい
いま、日本の学校の夏休みを利用して日本から、友人とそのお嬢さんたちが南アフリカに遊びにきてくれています。
このブログのタイトルにもあるように、私はいつも、私の友人知人に、 「おいで、おいで、アフリカに遊びにおいで!」 と言い続けています。 それは、もう、ただただ単純に、多くの人にこのアフリカのことを身近に思って欲しいからです。 さて、今回のお客様は横浜から星野亜紀子さんとそのお嬢さんたち、リコちゃん、ヤコちゃん。残念ながら、お仕事の関係で亜紀子さんの旦那さんは今回日本でお留守番です。実は、亜紀子さんは独身時代、青年海外協力隊に参加されてこともある、アフリカ大陸にはちょっとうるさい女性です。 亜紀子さんと私たち夫婦は、もう20年以上のお付き合いです。西アフリカのリベリアで同時期に青年海外協力隊に関係していました。現在、彼女は福祉関係のお仕事に就いていますが、もともとの専門は家畜飼育で、リベリアではガンタという地方で、ライ病患者さんたちのコミュニティで働いていました。新鮮な豚肉を彼女がガンタから供給してくれたことを今でも思い出します。 小柄で可愛らしいかった20年前の彼女が、職業とはいえ、丸々と太った豚を堵殺し、解体し、と言った作業までこなすのを知って、彼女を心から尊敬したものでした。スーパーマーケットでしかお肉を買ったことのない生活がいかに不自然か、ということを、身をもって教えてくれたのも彼女です。 さて、今回、彼女とお嬢さんたちのために、この周辺の見所、して欲しい、見て欲しいところをいろいろリストアップしました。ただ、この亜紀子さんも含めて日本からのお客さんは、長い休暇が取りにくく、旅行期間はせいぜい2週間が限度、とよく言われます。 が、日本からアフリカまで来るためには、往復で4日もかかってしまうので、合計の旅行期間が2週間でも、実質南アで動けるのは10日前後しかない、という厳しいことになってしまいます。 でも、10日間でも、彼女たちには、ダーバン中心500キロ圏の見所をたっぷり満喫してもらいました。具体的に今回実行した主なツアー内容を箇条書きしてみると、こんなに盛り沢山に! ・ダーバン市内見学 ・日本語を学習している南ア人と一緒にパーティ ・ドリームセンター(HIV/Aidsの症状緩和措置病院)見学 ・ドラッケンスバーグ少年合唱団コンサート ・アードモア陶芸工房見学 ・ドラッケンスバーグ・ジャイアントキャッスルハイキング ・シュシュルイ動物保護区サファリ ・ウシャカ・マリーン・ワールド水族館見学 この中のドラッケンスバーグというのは、ダーバンから車で2時間ほど内陸に入ったところにある世界遺産にも登録されている素晴らしい山々が連なる観光地です。そしてこのドラッケンスバーグ少年合唱団は寄宿制の男子校で、学校のある期間は『水曜コンサート』という企画があり、世界でも有名なこの合唱団の素晴らしい音楽を楽しむことができます。 この学校は日本の学年でいえば、小学6年生から中学3年生までの男の子が100名ほど集う私立の学校です。勉強、スポーツのほか、その名の通り、合唱団が主体の珍しい学校です。世界的にも有名で、日本にも何回も来ています。世界中の合唱団の中に入っても、そのレベルの高さはかの有名なウィーン少年合唱団にも匹敵するといわれています。 彼らはその演奏で収入を得ることができるプロでもあります。水曜コンサートの料金は大人で1300円ほど。演奏の合間に必ず「ご寄付もお願いしま〜す!ドルでも、ユーロでも、円でも大歓迎です」と言われてしまいます。 私は日本からのお客さんには、必ずこの合唱団の水曜コンサートに合わせて日程を組むようにしています。またこの合唱団の近くには、これまた世界的にも有名になってきた、アードモアという陶芸の工房があるのです。このユニークなアードモアのことはまた別の機会に詳しく書きたいと思います。 さて、日本の皆さんは、“アフリカ”と聞けば、当前、“野生動物”を連想されると思います。でも、さすがにアフリカでも野生動物はそんなに身近な存在ではないのです。野生動物は、公営か私立の動物保護区にいます。 今回は、ダーバンから海岸沿いに3時間ほど北上した“シュシュルイ動物保護区”へ出かけました。宿泊はこれまた世界遺産でもある、セント・ルーシャ、という湿地帯で、キャンプをしました。あいにくその夜は久々の雨。ぐっしょり濡れてしまいましたが、これもよい思い出です。 さて、この保護区は、前述のとおりダーバンから3時間、というアクセスのよいところにあるのですが、ビッグ・ファイブと呼ばれる、ライオン、サイ、バッファロー、ヒョウ、ゾウがすべて揃っている保護区です。 今回のサファリはお天気が曇りだったため、動物たちが結構動きがよく、初日からライオン、サイ、バッファローがお出ましで、とっても幸運でした。ただ、残念だったのは、二日間ともゾウが見られなかったことでしょうか。 サファリは、大きな保護区の中を車に乗った人間が動いて、動物たちが自由に生息する姿を偶然に見せてもらう、ということが基本的なコンセプトです。ですから、たとえその保護区に動物がたくさんいたとしても、どの動物に会えるかは、その人の運やお天気次第なのです。 せっかく日本から来たお客さんにたくさんの動物を見せたい、と思っても、まったく動物たちに出会えない場合だってあるのです。 でも、だからこそ、このサファリがやめられない、という人も多いのです。ちなみに、今回のサファリで印象的だったのは、立ち姿もきれいな“きりん”たちでした。子どもたちもきれいなきりんの立ち姿に心を打たれたようでした。 亜紀子さんたち、今回の旅行がこちらの冬に当たったため、日本の過酷な夏からぽっと2週間だけ冬を体験するのはさぞかし大変だったと思います。 でも、下のお嬢さんの無邪気な、 「お母さん、今度はまた夏に来よう!」 に、みんながにっこりしました。 もう少し距離が近くて、飛行機代が安かったら、本当に、もっと多くの人にこのアフリカ体験を味わってもらえるのに、とつくづく思いました。 ■
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by yoshimuramineko
| 2008-08-19 05:08
| アフリカの空のした
娘ショウコの通う学校は、私たちの住むダーバン近郊の町から、内陸に向かってさら50キロほど東に入った、ピーターマリッツバーグという町にあります。
南アの学校は日本の学校制度とはちょっと違い、小学校が1年生から3年生までが一区切りです。そして、小学校中等部、とでも言うべき区切りが小学校4年生から7年生(日本では中学1年生)までです。そのあと、高校が5年制で8年生から12年生までと続きます。 ショウコがこの女子高校(全寮制ではないが、ショウコは寮生)に入学を決めたいきさつは、以前にも書かせていただきました。 さて、南アは学校の一年は毎年1月の後半から11月までです。ですから今年はこの段階でもう半分以上の学校生活が過ぎてしまったことになりますね。 ショウコはこの学校が大変気にいっていて、毎週、本当に嬉しそうにその週の出来事を報告してくれます。週の後半まで彼女のいない生活に慣れてきた家族は、金曜の夜、彼女が帰るや否や嵐のように始まるおしゃべりに、全員が、「……むむむ、母(兄、父)として、このおしゃべりは聞いてやらないといけないのだな」と忍の一字になります。 でも、あまりのうるささと、その取り上げる“はなし”がまさにティーンエイジャーの女の子のことなので、ちっともおもしろくないのです。また、ショウコの話術というか、話し方が、実況中継風なので、どこがどうなっているのかがさっぱり把握できないうちに、次の会話に移っている、ということがあまりにも多いのです。そこで、1時間もしないうちに、誰かが、 「う、うるさい、少し黙ってくれ!」と悲鳴をあげることになります。 でも、本人いわく、 「あのねぇ!家族に話をするティーンエイジャーの女の子のほうが珍しいんだから聞きなさい!」 家族は、そういわれると、「う〜ん」と唸り、またほんの数分は我慢するのですが、一人二人とテーブルを離れ、最後の一人だけが彼女の餌食となるのでした。 と、そんなショウコの学校の先生から、こんな招待状が届きました。 この高校の1年生に入学した生徒たちと保護者が校長先生のお宅で行われるBRAAIに招待されたのです。この学校の広い敷地内の一角に素敵な一軒家があって、そこに校長先生がご家族で住まわれています。ほがらかな女性の校長先生です。 さて、BRAAI とは何だと思いますか? BRAAI とは、アフリカーンス語で、肉を焼く、料理する、という意味があって、南部アフリカ一帯で、外で炭やガスを用いて行うバーベキューのことをこう呼ぶのです。 そういえば、同じ南部アフリカにあるマラウィでもお肉さんに、“BRAAI 用の肉”、という表記をよく見かけましたっけ。 さて、南アの BRAAI の作法をご紹介しましょう。今回のご招待では、主催者の校長先生が、お肉などを用意してくださっていましたが、本来、BRAAI に招待されたら、あなたも自分の食べる分の肉類を持参しなくてはいけません。 当初、こういったことを知らなかった私たち家族は、BRAAI に招待されて、主催者の用意してくれたお肉をいただいていました。でも、よくよく観察すると、他の招待客も各自クーラーボックスに自分の好みに味付けされたお肉を持参しているのです。聞いてみると、南アのBRAAI はそれが習慣だというのです! でも、考えてみれば、南アは宗教的にも食事にいろいろなルールがある人もいるので、大勢が集まるとき、これはとってもいい形のポットラック・パーティです。主催者は、だいたい、サラダやパン、デザート、それと炭を用意しています。 さて、今日は、御覧のように、大きなステンレス製の入れ物に、くし刺しのチキンと、南ア名物、ボルワースと呼ばれる、ものすごくスパイスのきいたビーフのソ−セージが用意されていました。このお肉類を自分の食べられる分だけ取って、あとは、ドラム缶を半分に切って、炭をおこしてあるBRAAI用グリルで肉を焼きます。 自分たちの好みの焼き加減に仕上げたら、出来上がりです。パンやサラダと一緒に食べます。 今回のこのピクニックでは、ショウコの一番仲良くしている二人の女の子の家族とも楽しく話ができて嬉しかったです。 一人の女の子の家は、ウガンダ出身のお父さんと南アのお隣の国、レソト出身のお母さん。もう一人はシングルマザーで二人のお子さんを育てている南アのリチャーズ・ベイ出身のお母さん。南アフリカのこんな田舎町で、みなが、「まあ、こんなところで知り合いになれて、楽しいわねぇ」とほほ笑みあいました。 冬とはいえ、気温は25度、澄み切った青い空の下、楽しそうに話をしながら、笑い転げる大勢の14歳の女の子たちを見ていて、新しいアフリカの世代が育っていることを実感しました。 そして、南アでよく聞かれるこの質問、今日も聞かれました。 “Are you Happy here?” 「あなたはここでシアワセ?」 私は、ニッコリ笑って、「はい、とっても!」と答えました。 ■
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by yoshimuramineko
| 2008-08-11 07:08
| アフリカの学校と子どもたち
南半球に位置するダーバンはいま、“冬”が終わろうとしています。
しかし、“冬”と言っても、日本の冬とは少々趣が異なります。ダーバンは気候が温暖で、朝晩はさすがに10度以下になったとしても、日中、太陽の下では30度を超える日もあるのです。 ですから、冬でも日中はTシャツ一枚でも大丈夫、となります。 さすがに、この頃の私はTシャツ一枚では寒いのですが、ダーバンの南アフリカ人は夏冬同じ服装をしている、と言っても嘘ではないと思います。もっとも、朝晩にはフリースのジャケットくらいははおるようですが。 「犬種は何ですか」と真顔で聞かれて、 「はぁ、シベリアンハスキーの雑種です」というと、 「ええハスキーってこんなに大きくなるの?」と驚かれます。 でもね、冬毛がね、よけいに彼を太っているように みせているんですってば! ダーバンがさほど寒くない証拠に、ダーバンの家々には暖房装置がほとんどないことがあげられます。 私たちの住んでいるウィンストンパークは、ダーバン港から内陸に30キロほど入った丘の上にあって、ダーバンの街中よりも朝晩の気温は5度以上低いはずです。それでも、我が家は茅葺の屋根のおかげもあり、最低気温は、家の中で12度くらいでしょうか。 でも、私たちにとって、これくらいは許容範囲です。実際、ダーバンよりもっと寒くなるエチオピアの首都アディスアベバや、マラウィのリロングウェに住んでいた時でも、暖房は使用しませんでした。そしてこれは、子どもたちが赤ちゃんのころからの習慣なので、彼らは「寒いから暖房を入れよう」という考え方自体をしないのです。 実は、子どもたちに、一年を通して冷暖房が必要ない生活がいかに恵まれているか、ということを、身をもって知って欲しいから暖房をあえて使わない、とも言えるのかもしれません。 せっかくアフリカに住んでいるのだから、季節の移り変わりの中で少し我慢することもいいではありませんか。ADSLなどのインターネットの設備など、先進国なみの暮らしもしているのです。だからこそ、ちょっとの我慢と工夫で、必要のないエネルギーを消費しないでいられるとしたら、それはとっても幸運なことです。 そして、そもそも、南アの生活は早寝早起きです。私も夕御飯を食べたあと、2時間くらいは仕事をしますが、そのあとは寝る前に熱いお風呂にゆっくり入って読書を楽しみます。その後、羽毛布団の中にもぐり込めばもう寒さは感じません。朝も私は読書の楽しみのため、30分は暖かいお風呂に入ります。その前の夜に読みかけている本を数ページ読んでいるうちに、もう体もほかほかしてきます。お風呂から出て、ちょっと暖かめのセーターを着込んで、熱いお茶をすすれば仕事モードに直行です。 でも、今日、庭を見ていて、ふと気がつきました。 この植物、何であるかお分かりでしょうか。さすがにちょっとしおれてはいるのですが……。 そう、これ、日本の紫蘇なのです。日本の紫蘇はもちろん、日本料理に欠かせない薬味です。アフリカに住んでいると、やはり紫蘇や茗荷など、日本の薬味が恋しくなります。そこで、アフリカ原産ではない食物をアフリカの土地に植えるのをいけないことだとは知りつつも、紫蘇を庭に植えてしまいます。 しかし、それにしても、ダーバンの紫蘇、すごいです。だって、実はこの紫蘇、去年の春頃(季節が日本とは逆なので、南アの春は9月〜11月)から頑張っている株なのです。今年は例年になく、ダーバンは寒さが長引いているのですが、その寒さにもめげずに、いまだにこんなに葉っぱが青青としているのです。 私の記憶が正しければ、確か、新しい紫蘇の株は例年、9月の下旬には地面から出てきます。ということは、ほぼ一年を通して紫蘇を楽しんでいることになります。もちろん!温室で育てているわけではありません。純粋に地面からすっきりときれいに育っている紫蘇なのです。 これは、やはりダーバンが一年を通して過ごしやすい土地であることの何よりの証明ですね。 我が家の冬のお楽しみ!
庭の木にたわわに実るアボカドです ■
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by yoshimuramineko
| 2008-08-04 04:08
| 萱葺きの家から
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