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皆様、
夫、吉村稔の逝去に関し、たくさんの温かいコメントをありがとうございます。毎日読ませていただいています。 一人ひとりにお返事が書けなくてごめんなさい。皆様が私たち家族を遠くにいる親戚のように思ってくださり、私たちのここでの生活を応援してくださっていることがよく分かりました。心から感謝しています。 前回の写真もこれも、息子カンジが撮影しました。 以下のように、夫のお別れの会が開かれます。お時間のある方はどうぞ、お越しください。子どもたちと私も参加します。 ■と き=4月 4日 (日) 午後 1:00〜3:30 受付は午後12:30より ■ところ=尾張旭市新池交流館 ふらっと 愛知県尾張旭市南栄町旭ヶ丘173番地 電話0561-52-8852 *駐車場に限りがあり、近隣には駐車場がありませんので、できる限り公共交通機関をお使いください。 *地下鉄東山線藤が丘駅から車で約10分 (タクシーで1300円前後です。) ■会 費=大人3,000円(お一人様) 中学以上高校生以下1.000円(お一人様) *故人を偲ぶ 「追悼の宴」 です。平服でお越し下さい。 ■その他=当日ビデオ・DVDを上映できる準備をしております。お持ちの方は事前にお知らせください。 ■申し込み 問合せ先=「吉村稔氏を語る会」 PCアドレス tamao621☆yahoo.co.jp (☆を@に変えてください) 呼びかけ人 鈴木 珠緒 ■発起人 藤井 洋 ご参加いただける方は、上記の鈴木さんまでご連絡ください。 この会にご参加いただける方も、いただけない方にも、皆様には稔とのエピソードをお書きいただき、上記のPCアドレスまで、お送りいただければ幸いです。記念の小冊子を作ってくださるそうです。 出欠の有無・エピソード送付共に3月29日までにお願いします。 *「さらに語り合う人のための食事会」のご案内 せっかくの機会ですので、ご都合の良い方は、是非ご参加ください。 日時:4月4日(日)17:00〜 場所:「きりや」 愛知県尾張旭市南栄町旭ヶ丘42番1 電話0561-51-5522 費用: 一人 4000円程度 ■
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by yoshimuramineko
| 2010-03-23 11:03
| 番外編
皆さんは、3月13日に報道されていた七生養護学校での性教育に関しての裁判のニュースをお聞きになったでしょうか。
五つの新聞社の社説が、大きく二つに分かれました。 資料その1 朝日新聞社説(2009年3月14日付け) 資料その2 産経新聞社説(2009年3月14日付け) 資料その3 東京新聞社説(2009年3月16日付け) 資料その4 読売新聞社説(2009年3月16日付け) 資料その5 毎日新聞社説(2009年3月18日付け) 多くの人々にとって、この事件は大きな関心事にはならなかったのかもしれません。 が、七生養護学校のこの裁判は、日本の、特に東京都の学校教育における「性教育」に大きな転機をもたらした大事件だったのです。 ことの発端は、都議会で「行き過ぎたジェンダー・性教育」に懸念を持つ議員が、当時の東京都教育長に、この頃七生養護学校で使われていた『からだうた』という歌の歌詞について「質問」しました。 この『からだうた』の歌詞をここで書き記す前に、これがどういった目的で作成されたか、という背景を説明したいと思います。 知的障がいのある子どもたちにとって、思春期に入って、自分の体が大きく変化すること、その変化が性的にどういう意味をもつか、ということを理解するのはかなりの困難が伴います。そして、知的障がいのある子どもたちの周りにいる大人にとって、この子たちが性犯罪の被害者に、そして加害者にならないためにはどうしたらいいのか、ということが大きな、そして切実な問題となってくるのです。 そこで、七生養護学校の教員たちは、子どもたちに、「自分の体はとっても大切なものなんだよ」、というメッセージをしっかり学んでもらうことにしました。その教育活動の一環して、体の部位の名称をリズムに乗ってゆっくりと教えるためこの『からだうた』を作り、子どもたちの理解を促そうとしたのでした。 『からだうた』は授業の始まりに同性の先生と1対1になって、歌に合わせて体に触れてもらいながら(性器には触れません)、心の交流を深め、体のつながりや名称を意識させていく歌遊びです。 ************************* あたま、あたま、あたまのしたには首があって 肩がある、肩から腕、ひじ、また腕、手首があって 手があるよ(右と左を繰り返す)。 胸にオッパイ、おなかにおへそ、おなかのしたが ワギナ(ペニス)だよ、背中は見えない、背中はひろい、 腰があって、お尻だよ、ふともも、ひざ、すね、足首、かかと、 足のうら、つまさき(右と左を繰り返す)、おしまい ************************* 皆さんは、この歌詞がこういった状況の元、養護学校というある意味においては、特殊な環境で教師が生徒たちに懸命に自分の体のことを教えようとしていることに関してどんな感想をお持ちになるでしょうか。 あるひとりの教育者の意見を読んでください。 「とても人前では読むことがはばかられるもので……極めて不適切な教材でございます」 この感想の主は当時の東京都の教育長のものです。 世の中は不平等ですし、同じことが、ある地域では称賛されても、ある地域では嫌悪される、ということは私たち人間社会が延々としてきたことです。今回も、このときに、本当に子どもたちの側、つまり「卵側」に立てる教育長でなかったことが、この不条理を招いてしまったのでしょうか。 でも、その影響はあまりにも大きかったのです。 都議会でこういった質問を受けたあと、東京都教育委員会は、不思議なことに、それまでは七生養護学校の実践を評価し、校長会主催の研修会などの講師として彼らを招き、他校の教員たちにその優れた実践を講習させていたにも関わらず、手のひらを返したように関係した教員、また七生養護学校の「こころとからだの学習」に理解があった前任校長を“処分”までしたのです。この前校長は一般教諭に降格され、さらに停職一か月、また合計で102名がこの「行き過ぎた性教育に加担した罪」で処分を受けたのです。 産経新聞では、保護者からの抗議がこの性教育に対してあった、ということですが、その「抗議」の事実を探したのですが見つかりませんでした。私が見つけたのは、その当時の七生養護学校の保護者代表が書いた手紙でした。 資料その6 七生養護学校在校生・卒業生保護者の会の東京都教育長への手紙 そして、この一連の動きとして、この最初に都議会でこの七生養護学校の性教育に対して「質問」した都議ら6名と産経新聞の記者1名、東京都教育委員会指導主事7名、そして七生養護学校の新しい管理職3名の計17名が七生養護学校の保健室に一斉に踏み込み、自己紹介をするまでもなく、彼らの「証拠」となりそうな物件を次々と没収していったのです。 ここに、この都議たちの視察当日の保健室の様子を養護教諭が書いた文章があります。この時の描写は今回の裁判でも証拠として採用されました。法治国家である日本の公立学校の中で実際に行われた42分間のできごとです。 資料その7 都議たちの視察当日の保健室の様子 まるで自由な意思での職業活動が難しいような状況だったようですが、さらにここでこの「視察団」が没収した数々の教材の中の“人形”が、当時、「まるでアダルトショップのよう」などといった言葉で非難され、それがそのまま報道されました。 この“人形”とは、「スージーとフレッド人形」と言い、ジューン・ハーネスト(June Harnesut)さんという米国の知る人ぞ知る発達心理学、性教育の専門家が作成したものでした。この人形には、体毛も性器もついています。彼女は、性教育を進めていく上で、一人ひとりの実際の子どもの体の変化について語るより、このスージーとフレッドを使って、体にどんな変化があるかを話合う方が、大人にとっても子どもにとってもともに楽に学べる、と明言しています。 “人間と性”教育研究所HPより 事実、この人形は、世界の性教育の現場で採用されているものであり、日本でのこの都議会議員の行動は、裁判になる前から、多くの日本の教育関係者たちの間で「なんとレベルの低いこと」と嘆かれていたのでした。 この人形を報道したときも、かなり意図的に、人形がつけていた下着を引き下ろし、性器だけをむき出しにして写真撮影しています。それは授業ではまったくありえないことでした。 ただ、この事件は、かなり政治的な圧力が高く、山谷えり子衆院議員を代表に78名もの議員が「行き過ぎたジェンダーフリー教育や性教育から子どもを守る」ために「健全な教育を考える会」を発足させ、その一環としての活動のようでした。 国会でもこの会の代表、山谷えり子議員が「過激な性教育」が全国で行われていると、七生養護学校の例を出して質問しています。そして、その当時首相だった小泉氏はこう答えています。 「私、小学校時代も中学校時代も性教育なんて受けた覚えがありませんねぇ。しかし、こういうのは自然と覚えていくもので、ここまでやっていいものなのかな」 小泉氏のように自然と覚えていくのが難しいから、そして、小泉氏のように代々政治家の家柄の御曹司でもない一般の家庭の、そして知的障がいのある子どもたちを守るために、どうしたらいいか、と日夜研究に励み、子どもたちの「卵」を守ろうとした教師たちが処分されたのです。そのため、この教師たちがこれを司法の場で判断してもらおう、と都議や教育委員会を訴えた、というのが今回の七尾養護学校の裁判だったのです。 そして、この一連の動きのあと、何が東京都の学校全体で起こったか……。 残念ながら、この議員グループが勝利したのです。これを機に東京都の公立学校では一斉に、性教育に関する“言葉狩り”が行われ、性教育が大きく後退したのでした。授業では、“性交”といった言葉などがまったく使えなくなりました。 確かに、“性教育”は難しい問題を含みます。ただ、エイズが地域の成人人口の4割を超える勢いで人々の人生をめちゃめちゃにしている土地に住む者の実感として、性教育に反対するすべての人に伝えたいことがあります。 子どもたちには真実を伝えましょう。 真実を伝えることからしか、自分の身を守ろう、とする明確な意思は育ちません。知的障がいのある・なしに、性教育から逃げないでください。子どもが大切なら、子どもを守りたいのであれば、まず、子どもたちを信頼して、子どもたちに、照れずに、隠さずに真実を伝えていきましょう。 私は、性教育の真髄とは、子どもたちが自分の体を、自分の心を大切にするためにある、と信じて疑いません。そしてそれを支えることこそが、子どもを囲む大人たちの使命でもあると思っています。 この七生養護学校の勝訴の事実が、多くの「壁側」に立つ大人たちに猛反省を促してくれることを期待しています。 参考資料 1 朝日新聞−asahi.com:http://www.asahi.com/ 2 産経新聞―産経ニュース:http://sankei.jp.msn.com/top.htm 3 東京新聞―東京WEB:http://www.tokyo-np.co.jp/ 4 読売新聞―YOMIURI ONLINE:http://www.yomiuri.co.jp/index.htm 5 毎日新聞ー毎日jp:http://mainichi.jp/ 6 七生養護学校在校生・卒業生保護者の会の手紙:「七生養護の教育を支援する日野市民の会」ブックレットより 7 七生養護学校への都議たちの視察の記録:「知的障がい児のための『こころとからだの学習』」同編集委員会編著 明石書店2006 8 “人間と性”教育研究所:http://seikyoken.org/index.htm ■
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by yoshimuramineko
| 2009-03-16 23:03
| 番外編
※「七生養護学校で起きたこと」 本文はこちら
朝日新聞社説 平成21年3月14日 性教育判決―創意つぶす「不当な支配」 教育は、不当な支配に服してはならない。 教育基本法にこう、うたわれているのは「忠君愛国」でゆがめられた戦前の教育への反省からだ。その意味を改めてかみしめる司法判断が示された。 東京都内の養護学校で、性教育を視察した都議3人が教員を非難した。教員らが起こした訴訟で東京地裁は、その内容が「不当な支配」にあたると認め、都とともに賠償を命じた。 3都議は03年、都教育委員会職員らとともに学校を訪れた。性器がついた人形などの教材を見て、性教育の方法が不適切だと決めつけた。女性教員2人に高圧的な態度で「こういう教材を使うのはおかしいと思いませんか」「感覚が麻痺(まひ)している」と難じた。 これは穏当な視察ではない。都議らは「政治的な主義、信条」にもとづいて学校教育に介入、干渉しようとした。教育の自主性を害する危険な行為で「不当な支配」にあたる。判決の言うところは、そういうことだ。 きわめて妥当な判断である。教育に対する政治の介入への大きな警鐘といえる。都議らだけでなく、すべての政治家が教訓とすべきだ。 傍観していた都教委の職員らについては、判決は「不当な支配」から教師を守る義務に反した、と指摘した。都教委が「学習指導要領に反する」として教諭らを厳重注意としたことも、「裁量権の乱用だ」と批判した。 外部の不当な介入から教育の現場を守るべき教育委員会が、逆に介入の共犯だと指摘されたに等しい。 知的障害をもつ子どもたちが、性犯罪の被害者にも加害者にもならないためにどうしたらいいか。現場の教員らは日々悩みながら工夫を重ねていた。やり玉にあげられた人形は、自分のからだの部位を把握することも難しい子どもたちに、わかりやすいようにと考えた末の結果だ。 都教委自体、問題視される前はこの学校の教員を講師に招く研修会を共催していたほどだ。議会で追及された途端に手のひらを返すとはあきれる。 都教委からの厳重注意の後、性教育への取り組みが各地で低調になるなど、現場への影響も小さくなかった。 これだけでなく、日の丸・君が代をめぐる起立と斉唱を義務づけ、大量の教職員を処分してきた石原都政下の都教委では、現場の自主性を害するような政策が続いてきた。 教育基本法は06年に改正された。「不当な支配に服することなく」の後の「国民全体に対し直接に責任を負う」というくだりが、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と変わった。 行政の権限が強まった感は否めない。それだけに、管理強化で教育現場の萎縮(いしゅく)を招いてはならない。 ■
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by yoshimuramineko
| 2009-03-16 23:03
| 番外編
※「七生養護学校で起きたこと」本文はこちら
産経新聞社説 平成21年3月14日 【主張】性教育 過激な内容正すのは当然 東京都日野市の都立七生養護学校の性教育をめぐり都議が視察で批判したことに対し、東京地裁は、「学校の性教育に介入し、教育の自主性を阻害した」などと都や都議3人に計210万円の賠償を命じた。 問題の性教育は性器のついた人形を使うなど不適切な内容であり、都議らの是正に向けた取り組みは当然の行為だ。これを不当とした判決は極めて疑問である。 平成15年に過激な内容の性教育の問題を都議らが都議会で指摘したうえ視察した。性器の付いた男女の人形やコンドームの装着を教えるための男性器の模型な どの教材が明らかになり、都議は「常識では考えられない」「感覚がまひしている」などと批判した。都教委は視察に立ち会い、教材を没収した。 これに対し当時の教員ら31人が性教育の内容を批判され、教材を没収したのは不当として都と都議のほか、この視察を報じた産経新聞を相手取り計3000万円の賠償を求めた。判決は産経新聞への訴えは棄却し、都教委による教材没収などについても却下した。 問題なのは、「視察した都議が教員を威圧的に批判した」などとして、「旧教育基本法が定めた『不当な支配』にあたる」との判断を示し、一部訴えを認めたことである。 同校の当時の性教育には保護者の一部からも批判が寄せられていた。保護者の同意、発達段階に応じた教育内容など性教育で留意すべき内容から逸脱したものだ。 これを是正しようとした都議らの行動を「不当」とするなら議員の調査活動を阻害しかねない。 学校の授業は外部の目に触れにくく、独りよがりの授業がなかなか改善されない。保護者や地域の人々が教育内容を知り、不適切な内容に改善を求めるのは「不当介入」ではない。 旧教育基本法の「不当な支配」をめぐる条文は、特定の思想を持つ団体などの教育現場への介入を戒める規定だが、教職員組合などは国や教育委員会の指導を「不当な支配」と曲解してきた。 しかし、18年暮れに成立した新教育基本法に「不当な支配」の文言は残ったものの、教職員らに法を守ることを求める規定が追加され、曲解の余地はほとんどなくなった。性教育に限らず、教育委員会や校長は不適切な教育内容には毅然(きぜん)とした指導が必要だ。 ■
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by yoshimuramineko
| 2009-03-16 23:03
| 番外編
※「七生養護学校で起きたこと」 本文はこちら
東京新聞【社説】2009年3月16日 『不当支配』認定 教育介入へ当然の判決』 養護学校を訪れた東京都議が反論もさせないまま性教育を一方的に非難したのは旧教育基本法が禁じた「不当な支配」と認定された。現場に立ち入って教育の自主性を侵した行為を猛省すべきだ。 東京都立七生(ななお)養護学校(日野市、現・七生特別支援学校)では一九九七年、生徒同士の性的交渉が発覚し、その後も性に関した問題行動が多発、学校全体で性教育に取り組んでいた。 知的障害がある子供を対象とした学校で、分かりやすい性教育として、体の部位の名称を歌詞にして歌ったり、性器模型付き人形を用いていた。 保護者との話し合いも重ねており、担当していた養護教諭は都教委の研修に講師で招かれ、授業の様子を講演したこともあった。 都議三人は二〇〇三年、この養護学校を訪れた。東京地裁が判決で認定した視察状況はこうだ。 三人は保健室で校長らに性教育に使われている人形などを提示させ「常識では考えられない」「不適切なもの」などと述べた。養護教諭には「こういう教材を使うのをおかしいと思わないか」「感覚がまひしている」と非難した。 資料ファイルを持っていこうとする都議に教諭が「何を持っていくのか教えてください」と尋ねると、都議は「おれたちは国税と同じだ」とたしなめたという。 判決は事実関係をこう認定したうえで、旧教育基本法が禁じた「不当な支配」に当たると判定している。「単なる視察だった」という都議に対し、意見交換することなく、学校を一方的に非難した違法行為だった、ともしている。 判決に三都議は「視察と指摘で過激性教育が改善された意義は大きい」とコメントした。現場に介入した意図がうかがえる。成果を誇っており、反省がみられない。都民の負託を受けた現職議員として違法行為を恥じるべきだ。 都教委は本来、政治的干渉から教育現場を守る役割がある。しかし、都議に同調し、教育の自主性をゆがめる行為に加担した。判決を重く受け止めねばならない。 性教育は研究の歴史が浅く、さまざまな方法論がある。知的障害がある子供への性教育指導はさらなる工夫もいるだろう。特別支援学校では試行錯誤しながら実践の仕方を探っているのが実情だ。 学校の努力を調べないまま、都議のいう“常識”だけで判断できる問題ではない。強引な介入や干渉は現場を萎縮(いしゅく)させるだけだ。 ■
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by yoshimuramineko
| 2009-03-16 23:03
| 番外編
※「七生養護学校で起きたこと」 本文はこちら
読売新聞社説(3月16日付) 性教育判決 過激な授業は放置できない 東京都議の言動に行き過ぎた面はあったかもしれない。しかし、政治家が教育現場の問題点を取り上げて議論し、是正していくこと自体は、当然のことと言えるだろう。 都内の養護学校の教員らが、学校を6年前視察に訪れた都議から不当な非難を受けたと訴えていた裁判で、東京地裁は3人の都議と都に対して損害賠償を命じた。 養護学校では、性器の付いた人形を性教育の教材として利用するなどしていた。都議らは教員に向かって「感覚が麻痺(まひ)している」などと批判した。 判決は、都議が教員の名誉を違法に侵害したと認定した。 改正前の教育基本法が禁じた、「不当な支配」にも該当し、現場に職員がいながら制止しなかった都にも賠償責任があるとした。 だが、都にそこまで教員を保護する義務があったのだろうか。 当時は、「男らしさ」や「女らしさ」を否定するジェンダー・フリーの運動とも連携した過激な性教育が、全国の小中高校にも広がっていた。 小学校2年生の授業で絵を使って性交が教えられるなどした。 性器の付いた人形が、都内80の小学校で使われていたことも明らかになり、国会でも取り上げられた。文部科学省が全国調査し、自治体も是正に取り組んだ。 都議の養護学校視察は、こうした過激な性教育を見直す動きの一環として行われたものだ。 原告の教員らは、知的障害のある子どもたちは抽象的な事柄を理解することが困難なため、教材に工夫が必要とも主張している。 普通の小中高校の場合と同列に論じられないのは、その通りだろう。しかし、性器の付いた人形の使用まで必要なのか、首をかしげる人は多いのではないか。 養護学校の学習指導要領解説書は、生徒の障害や発達段階を踏まえ、性に関する対応なども重視するよう求めている。 教育が「不当な支配」に服することを禁止した以前の教育基本法の規定は、日教組などが教育行政の現場への介入を否定する根拠ともされた。 「不当な支配」の文言は、新法にも引き継がれた。しかし、教育は「法律の定めるところにより行われる」とされ、教育委員会の命令や指導は「不当な支配」に当たらないことが明確にされた。 教育をめぐる問題については、現場の意見を尊重しつつも、広く国民的な議論に基づいて進めていかなければならない。 ■
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by yoshimuramineko
| 2009-03-16 23:03
| 番外編
※「七生養護学校で起きたこと」 本文はこちら
七生養護学校在校生・卒業生保護者の会の手紙 東京都教育委員会・教育長 横山洋吉様 この度七生養護に起こった一連の出来事に関して大変心を痛めております。全校保護者会が3回開かれましたが十分に当事者の意見や思いを聞いていただいていませんし、あの場で語られた多くの保護者の意見は文部科学省への報告や8月末にだされた都立盲・ろう・養護学校経営調査委員会報告書にも反映されていません。保護者は毎日子どもたちと生活を共にし、意見を表明するのが苦手な子どもたちの代弁者でもあります。また、将来の自立に向けて一所懸命、日々共に努力しております。それがまったく無視されていると思います。 知的障がいのある人たちの自立のためには様々なスキルが必要です。日々の学習や作業などによって培われる力は卒業後を見据えたものであり、やがて学校を卒業した時に役立つことを保護者は望んでおります。そして、人を傷つけたり人に傷つけられたりすることのないことを願っております。しかし、それはとても困難なことです。 残念なことに悲しい話もたくさん聞きました。世の中は善人や障がい者に理解のある人ばかりではありません。養護学校の前から車で連れ去られた女の子の話、ケーキ一つで「やさしいおじさん」について行ってしまう女の子の話、痴漢に間違われ、家族と共に暮らすことのできなくなってしまった男の子の話・・・。数え上げればきりがありません。また軽い知的障がいがあり、避妊の知識もなく、次々と父親の違う子どもを産み、自分で養育することができず、里子に出すという例もあり、そんな子どもたちの養育は大変困難です。こんな重い現実の前に親たちの気持ちは焦りを覚え、立ち尽くすばかりでした。 そんな折、七生養護では7年ほど前から性教育に取り組み始めました。それまでは多くの悩みを抱えた親たちは、仲間で語り合い、先輩の保護者や作業所の指導員さん、大学や専門家の先生などといった細々としたつてを頼り、自分たちでお金を出し合い勉強会を開いてきました。しかし母親たちの努力には限界があります。学校できちんと授業の中で取り組まれることになった時には、本当に良かったと思いました。他の養護学校の保護者から羨ましがられることもあり、誇りにも思っておりました。授業の事前・事後にはきちんとした通信が出され、保護者会、公開授業では何度も参観し、学校・先生たちとは綿密に連携していました。また、親元ではなく福祉園から通ってくる子どもたちもいます。自分が大事な存在に思えず、心が傷ついてしまっている子もいます。 あるとき、僕はどうやって産まれてきたのかな、と聞いた子がいて先生たちは大きな袋を縫いました。その中に置かれた温かなクッションの上にその子はうずくまり、おぎゃあと産まれてきて、みんなにおめでとうと祝ってもらいました。この袋の中には、他にも見学したおとなが入って同じような「命がうまれる」体験をしました。自分もこうやって喜ばれて産まれてきたのだと肯定的な体験ができます。どうしてこの袋に「膣つき子宮内体験袋」という悪意ある仰々しい名前がついたのか理解に苦しみます。その他の教材も、先生方が子どもたちの実態に合わせて苦心して作ったものです。一日でも早く子どもたちの元に戻してくださるようお願い致します。障がいのある子たちにとっては反復し、視覚に訴える具体的な授業はとても大事です。 今回のような一方的なやり方には何らの客観性も感じられず、多くの保護者が疑問を感じております。一日でも早く今までのような子どもたち中心の学校にもどしてくださるよう切にお願いいたします。 2003年9月26日 七生養護学校在校生・卒業生保護者の会 ■
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by yoshimuramineko
| 2009-03-16 23:03
| 番外編
※「七生養護学校で起きたこと」 本文はこちら
七生養護学校への都議たちの視察の記録 (「知的障がい児のための『こころとからだの学習』」同編集委員会編著 明石書店、2006年より)事件直後に保健室に入った同僚教員の聞き取りメモ(裁判の証拠になった)をもとに当時の都議との会話を手記にしたものです。 ********************* あの日の保健室 内山裕子(原告) 忘れもしない2003年7月4日、保健室に勤務する私たち二人の養護教諭(以下「養教」)にとって生涯決して忘れることのできない出来事がありました。わずか42分間だけれど長い、長い時間でした。 この日、私たちは朝から落ち着きませんでした。都議らが学校に視察に来る。それも 保健室を見に来ると伝えられていたからです。それでも教頭からは「保健室で普通に勤務してください。校長が対応します。何か聞かれてもわからないことがあったときは答えてもらうかもしれません」と言われていたので、こころのなかでは管理職が対応してくれるから大丈夫と自分を落ち着かせようとしていました。 (中略) 14時過ぎ、教員が玄関に停めてあった車に産経新聞のロゴを見つけました。その後保健室に再びビデオを取りに来た指導主事にたまたま居合わせた教員が「どうして報道を連れてきたのか、聞いていないが」と尋ねると、「都民に公表しなければ学校は変わらないから、という理由で都議がマスコミを連れてきた。校長も了解している」との答えでした。しかもカメラを持ってきているとのこと。ますます緊張感が高まり、こんな大事な場面に教員は私たち養護教諭の二人だけ。不安でした。 午後3時3分、都議ら6名と産経新聞の記者1名、指導主事7名そして管理職3名の計17名が、一斉に保健室に入って来ました。自己紹介もあいさつも何もないまま、都議らはそれぞれに保健室の中を物色し、「あーこれこれ」といった感じで教材を棚から出していきました。そしてそれぞれが教材や保健室のあらゆるものを携帯電話等で撮影していました。 都議らが出してきた教材は、精通指導用の「箱ペニス」とコンドームと、装着用の木製の棒、「スージィとフレッド」人形でした。それから、「大きい人形があるだろう。出して!」と都議に言われ、私は奥の押し入れから人形を出してソファの上に並べました。気がついたらいつのまにか4体は横並びに寝かせられ、すべてきちんと衣服を着ていたのに、性器の部分だけを露出させるように下半身だけ衣服をずり下ろされていたのです。授業では到底考えられないような使われ方です。それを産経新聞の記者は、写真に撮り記事にしました。その様子をたまたま保健室に来た教員が見ていて、議員がとにかくニヤニヤしながら衣服を脱がしていく様子がとてもいやらしかったと、あとで教えてくれました。 以上4つの教材を机に並べるまではあっという間の出来事です。そしてその後、校長から言われた「通常の勤務」どころではなく、私たちはつぎつぎに質問を受けることになったのです。 T都議「精通の指導をすることに、こういう教材(ペニス模型)を使うことをおかしいとは思わないのですか!」 養教「おかしいと思っていないので使ってきました。子どもたちは具体的でないと、これが精通であるとわからないのです」 市議「具体的でないとわからないというなら、セックスもやらせるんですか。体験をつませて学ばせるやり方は、共産主義の考え方だ!」 市議「子どもを実験の道具として使うな!!」 T都議「こういうこと(こういった教材を使って性教育をすること)をやるなら、塾でも開いてやればいいだろう!人は集まらないけどな。(学校は)公費でやっているんだからな!」 T都議「お父さんとお母さんが、どういう性交をしているかも教えるの?」 「どうして性器だけを『ペニス』『ワギナ』と言うのか。『性器』と呼べばいいのではないか」 T都議「あなた、からだ歌を宴会で歌えるんですか?感覚が麻痺しているよ!」 T都議「どうして『性器』だけを専門用語で教えるのか。ねぇ田代議員。田代議員は医者なんだから。目だったら専門用語でなんていうんだっけ?」 TS議員「目だったら虹彩、瞳孔、耳だったら、耳介、耳珠というふうに教えなければいけないじゃないか」 T都議「性器だけを正式名称で教えているなんて矛盾している。どうして小学校一年生から性器名を教える必要があるのか!」 養教「・・・・・」(これに答えるには長くなると思い、隣りに立っていた教頭に答えてもよいかと小声で聞くと話すなという指示があったため答えられませんでした) T都議「『体』を教えるのはいいけど、何で性器を、事細かに教えるのかわからない。説明責任を果たしていない。その説明もできないような歌を歌っているのか!!むしろ教員側が、性器にのみ執着しているから、こんな指導になるんだ。ここは治外法権じゃない。どこの学校を出ているか知らないけど、もっとあなた、勉強しなければならない!」 T都議とのやり取りのあと、言いたくても言わせてもらえなかった悔しさと情けなさと、都議会議員という立場の人が言うことには黙って従わなければならないものなのか?という現実を目のあたりにし、打ちのめされた思いでした。私は保健室の中央で校長の後ろに立っていたものの、そのままその場にいると涙があふれてきそうで、必死にこらえようと、保健室の自分の席に戻ったのでした。向かいの席にも同じく泣き出しそうで不安な顔の養教の顔が見えました。そして彼女のそばにいたT都議とこのような会話があったようです。 T都議「あなたは、あの人形をどう思う?」 もう一人の養護教諭「お名前を聞かせてください」(恐怖心から言葉が見つからず、返答できないでいたが、まず名前を聞こうと思った) T都議「あなたに答える必要はない!!あなたは命令を受ける立場なのだから!」 TS議員がファイルを2冊手に取り、持って行こうとしたので彼女が私に目配せをしてそれを教えてくれました。 T都議「こそこそスパイのようなまねをして」 養護教諭「何を持っていくか記録したいので教えてください」というと T都議「何を持っていくかは俺たちが責任をもって持っていくんだから、馬鹿なことを言うな!俺たちは国税と同じだ。1円までも暴いてやるからな。このわけのわからない二人(養教のこと)は出て行ってもらってもいいんだ」 養教(さらに田代議員が『性教育検討委員会』のファイルを持っていこうとしたので)「7月7日に委員会があり、資料作りをするのに使いたい資料があるので」 T都議「何を使いたいかそれを(ファイルから)抜け。それをコピーして持っていく。それを重点的に調べるからな!!それなら、7月7日の9時までに届ければいいだろう。それで仕事ができないというなら、能力が低すぎるということだ」 T都議「薄くなったファイルは、中が抜いてあるかどうか、全部チェックしてあるからな。こっちのコーナー(本やビデオ)も、なくなっている物がないかどうか、写真を撮っておいて!」とほかの議員に指示。ガラス扉の中にある古い性教育のファイルも携帯で写真を撮っていました。 K都議は、保健室に入ってくるなり、ビデオの保管場所を見て、「ビデオはこれしかないのか、おかしいのでは」と疑うような口ぶりで質問していました。また、「性教協の雑誌があるのは、しっかりおさえなきゃあ」と言って写真を撮っていました。 気が付いたら、指導主事の一人がたくさんの本を持たされていました。 養教「それを持って行くんですか?」 指導主事「校長さん、いいですね?」と確認を取る。 校長「はい」の一言のみ。 ある議員が教材を自ら持ち去ろうとしたら、古賀都議が「それは都教委がやることだから(自分たちは触っちゃいけない)」と行動を制し、都教委にやらせていました。 これらのやりとりについて、校長と都教委は私たちの盾になってくれるだろうと思っていましたが、ほとんど言葉を発することなく棒立ち状態でした。 視察が行われている時間は、まだ生徒たちが学校にいる時間帯でした。高等部の男子生徒がケガの手当のために保健室に入ってきたとき、私が大勢にいじめられていると思い、担任に助けを求めにすぐ出ていったそうです。また別の男子生徒も手当にやってきましたが、子どもに恐怖心を持たせてしまうと思い、もう一人の養教は廊下で手当をしたと、あとから聞きました。 (中略) 視察というと、友好的に実状を理解しようとする態度が見えるものだと勝手に考えていましたが、それは大きな間違いだったようで、自己紹介もなければ、視察が終わったあとの挨拶もなし、言葉は乱暴で威圧的で脅迫的で、そんな態度の都議らに都教委も管理職も押し黙るばかりだったのです。 都教委は都議らの指示のもと、たくさんの絵本や書籍を抱えて保健室を退室しまし 。視察の一行がいなくなったあと、精神的ショックと、悔しさ、恐怖から解放された安堵感で、もう一人の養教と顔を見合わせたとたん、こらえていた涙が一気にこみ上げ嗚咽せざるをえませんでした。 これが7月4日の保健室での出来事です。 (後略) ■
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by yoshimuramineko
| 2009-03-16 23:03
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毎日新聞社説 平成21年3月18日 社説:「不当な支配」判決 教委の存在意義が問われた 教育委員会はどこを向き、何のために存在しているのか。性教育をめぐり、都議らの一方的な教員非難を教育への「不当な支配」とし、損害賠償を認めた東京地裁の判決は、こう問いかけているようだ。 判決によると、03年、都立七生(ななお)養護学校(現特別支援学校)で、教員たちが実践している性教育の内容が不適切だとして都議3人が学校を 訪ね、「感覚がマヒしている」などと教員の資質を否定するような批判をした。これは当時の教育基本法にいう「不当な支配」で、同行した都教委職員には教員 を保護する義務があった。だが職員は都議を制止したり教員を退室させたりすることもなく、非難されるに任せた−−というのである。 この性教育は、体の部位に性器の名称などを盛り込んだ歌を作ったり、人形で説明するなど子供たちに具体的なイメージや理解を持たせようとした。 性教育は歴史が比較的浅く、授業手法は試行錯誤の上に工夫されてきた。知的障害を持つ子供たちが学ぶこの学校では、子供たちが性犯罪の被害者にも加害者にもならないためにもわかりやすい授業を目指し、教員らが教材、指導法を模索してきたという。 必要なのは学校や教員たちの体験や情報を共有し、各現場で実践を重ねることだ。そして性教育に限らず、現場に一方的な横やりを入れさせず、教員の研修機会を充実させるなど、教委が果たすべき役割は多い。 もちろん授業を見たり批判したりしてはならないというのではない。より適した改善や向上を目指す自由で建設的な批判や討議、意見交換は活発に行わ れるべきだ。しかし、判決が指摘したように、都議の言動は教員を萎縮(いしゅく)させる高圧的な非難といわざるを得ない。そして傍観的態度をとった都教委 の責任の重大さを考えなければならない。 全国で教育委員会制度に疑問符が付くような問題や事件が相次いだ。いじめ自殺への対応、高校の未履修問題、教員採用汚職などだ。また全国学力テスト結果公表問題では自治体や地域によって対応が分かれる。 こうした状況で、教委を必ずしも置く必要はなく、首長が直接教育行政を掌握、遂行してもよいのではないかという意見もある。実際、議会の承認を得て首長が任命する教育委員が地元教育界功労者の「名誉職」と化し、事務局任せになっている所も少なくないといわれる。 行政委員会である教委が首長と距離を保った存在とされるのは、首長の交代や急激な方針変更など外から左右されることなく、公教育に安定性や一貫性 を担保するためだ。逆にいえば、教委は地域の学校教育に第一義的に責任を持ち、改善、充実に不断の関心と努力を払わなければならない。 判決は改めてその原点を指し示したといえる。 ■
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by yoshimuramineko
| 2009-03-16 23:03
| 番外編
私はアフリカに住み、毎日アフリカの現実と向き合っています。そこには厳しいものもあれば、苦しいもの、辛いもの、でも、楽しいもの、そして美しいものだってたくさんあります。
ただ、HIV/Aidsの患者さんたちと付き合っていると、ときには、10代前半の女の子が体中の痛みに涙を流している状況などに立ち会うこともあります。 私は長い間教師をしていますから、子どもとか、若い人の経験する“痛み”に敏感に反応してしまいます。彼女たちの静かで苦しい「……痛い」という訴えを聞くと、私の体と心もシンシンと痛み始めます。 「エイズにかかって悔しい」とか、「自分の境遇がつらい」という訴えも悲しいのですが、体が痛くって泣く、という行為を直視するのは本当につらいです。私は、「ごめんね、ごめんね」、と言いながら立ち尽くすしか術がありません。 世の中はこんなに進歩しているのに、もう間もなく死期を迎えるこんなに小さな女の子の“痛み”を取ってあげられない、という現実に打ちのめされる思いになります。先進国のエイズの患者さんだったらこんなことはないと思います。彼女がたまたま生を受けたのが、アフリカであったがための現実です。 体をさすってあげて、話を聞いてあげて、何とかその場をやり過ごします。こんな時、自分の無力さに嫌気がさします。医療関係者でもない自分のしていることなど、この少女にとっては、何の助けになっていないよなぁ、と絶望的になるときもあります。 でも、根気強く、その場を逃げずに、笑顔で、私が「ここにいるよ」というメッセージを出し続けること、ビーズのワークショップを継続することが大切なのだ、と自分に言い聞かせます。 そんな中、日本に住む友人から、ある若い男性のことを聞きました。そこには、アフリカの現実とは違う、日本の現実の“痛み”がありました。 若い男性とは、その友人の息子さんの中学時代の友人です。友人の息子さんはその当時、家庭の事情で彼自身が苦しい時期を送っていました。彼はほとんど学校に通うことなく中学生時代を過ごしていたのです。ですから、その当時の彼の友人はとても少ないのです。その中での友人がこの男性だったのです。そして、この男性も友人の家庭と同じで、中学の頃から母子家庭で育っていたそうです。 友人の息子さんがある日、最寄り駅で彼をじっと見つめるこの男性に気がついたそうです。お互いの境遇を話あって、友人の息子さんはびっくりしました。 中学時代から優秀だったこの男性は、高校時代も精いっぱい勉強し、アルバイトをし、進学する費用を自分で貯金したそうです。 ところが、この男性の母親がギャンブルに溺れ、この男性の進学費用を全部そこに使いこんでしまったのです。しかも、母親はその後失踪し、今も音信不通になっているということなのです。 私はこの話を聞いて、いく晩か眠れない夜を過ごしました。 この男性はもう19歳なので、実は“子ども”ではありません。が、この男性が具体的に例えば、奨学金を申請したい、と思っても、現実はかなり厳しいことをご存じでしょうか。現在、奨学金を得ようと思っても、奨学金を得るために必要な、連帯保証人を立てる条件がものすごく厳しくなっているのです。 友人から聞く中学校時からの彼の環境を考えると、もしかしたら、この失踪した母親だけが親族だったかもしれません。そうだとしたら、彼はどうやって、生活を支えているのか。どうやって家賃を、光熱費をねん出しているのか。 私はこの会ったこともない、この若い男性のことが気になって、気になって、何か自分にできることがないのか、必死で考えました。 私たち大人は、こういうことを知ったら、やっぱり何らかの行動を起こさないといけない、と思うのです だって、彼は何も悪いことをしていないのです。それなのに、本来ならば保護され、親か周りの大人が最低整えてやるべき生活の基盤が一挙に奪われてしまったのです。 日本は一見豊かに見えるのに、いったん、社会の大きな波から降りてしまうと、世の中の仕組みが、いかにも不親切なのです。老人の孤独死とか、餓死するまで放っておかれた障がい者の人のことなどを知ると、どうしてもっと周りの人が動かなかったんだろう、と不思議に思ったり、憤ったりすることがありますよね。 行政や公な機関がさっさと手を差し伸べるためには、いろいろな手続きが必要なのはわかります。でも、そういった手続きさえできなくなる状態に人々は簡単に陥ります。元気があって、何でもできる人が大勢いるから社会は機能します。でも、私たちの隣に、気力も体力も落ちて、そういったことができなくなっている状態の人がいたら、元気な人たちは、手を差し伸べるべきです。 義務とか、なんとかごちゃごちゃ言わずに。 でも、多くの人が、躊躇する気持ちも理解できます。だから、私のようなお節介がいるんだろうなぁ、とも思います。 はい、私はこの会ったこともない男性のために、具体的に動くことに決めました。そして、このブログを通して皆さんにもこのことを知ってもらって、助けてもらいたいと思っています。 私にとって、アフリカのエイズの患者さんのためにビーズの教室を続けることも、この若い男性のために、何らかの支援をすることもまったく同じことなのです。 一回知ってしまったら、そのことを無視しない、知らないふりをしない、それだけです。 皆さん、知恵を出し合いましょう。この男性に対して何を援助したらいいのでしょう。どうか一緒に考えてください。彼がどうしてこうなったか、ということを話し合うつもりはありません。彼のために、何ができるだろう、という具体的な答えを出すためだけの応援団を作りましょう。 お金を出せる人はお金を出してください。知恵を出せる人は知恵を出してください。お金も知恵もないけれど、励ますことがうまい、と思うことは励ましの言葉をください。 「どうせ、こんなことをしたって、どうにもならない、本人がどう思っているのかもわからない」と考えてしまう前に、赤の他人だって、困っている人がいたら、ちょっとみんなで知恵を出し合って、その人のことを自分の家族にように考えてみませんか?それが空振りに終わったって、ちっとも構わない、と思える人がこの仲間に入っていただけたら嬉しいです。 「よし、私でできることなら一緒にやってみる」と考えてくださる方、どうぞ、私の個人のメールアドレスまでご連絡ください。メーリングリストのようなものを作成し、ぜひ、一緒に考えて、動きましょう。私のこのブログを読みに来てくださっている世界中の皆さん、どうぞ、お知恵をお貸しください。 ■
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by yoshimuramineko
| 2008-10-21 05:10
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