カテゴリ
全体 日本語教育&英語教育 HIV/Aids アフリカの空のした 吉村家アフリカを行く! 吉村家の食卓 ブログ 吉村家、アフリカを離れると……! アフリカの政治 萱葺きの家から 今月の読書と映画 アフリカの学校と子どもたち この人が素晴らしい 番外編 昭和ヒトケタ・アフリカで暮らす プロフィール 2010年ワールドカップ アフリカで日本食ビジネス スポーツの世界 未分類 以前の記事
2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
「人生何があるか分からない」とは、良い意味でも悪い意味でも、多くの人がそれぞれの人生で実感することだと思います。
先週訪れたある家族のおじいさんにとって、この言葉はあまりにも重く、あまりにも厳しいものでした。 Mhlongo家は、ダーバンの近郊、Kwandingezi という地域にあります。実は、この地域、私の家からそう遠くないのです。直線距離にしたら20キロもないでしょう。が、普段走り慣れた街並みから、ちょっと離れただけで、そこにはいわゆる“アフリカ”が広がっていました。 私の住む地域は、丘の上の住宅地で、道路もきれいに整備され、敷地の広いお屋敷が並んでいます。隣とのお付き合いは、こちらからかなり働きかけないとほとんど存在しないような環境で、人々は電気柵に囲まれた家で、犯罪に会わないよう、堅く門を閉じ暮らしています。 が、このKwandingeziは、もちろん家と家の間には柵はなく、子どもたちは自分の家や人の家との区別なく自由に遊んでいる闊達さがあります。 しかし、残念ながら、地域の清掃はあまり行き届いているとは言えず、多くの秩序のある“アフリカの田舎”を知っている私にとって、この地域が荒廃しつつあることが見てとれました。 この日の訪問は、私のここダーバンでの一番親しい友人、サリーのお供だったのですが、いま、英語を教えさせてもらっている日本人の生徒さんにも声をかけて一緒に行ってもらいました。 あまりこういった地域に入る機会のない日本人にとって、こういった形で地域が荒廃していく様を見て、これが“アフリカの田舎”の当たり前の景色、と捉えられたら困るなぁ、とも思っていました。 落ち着いたアフリカの田舎の清々しさは心が洗われるくらい素敵です。 地域に長老がいて、村の掟があって、子どもたちは大人たちの大きな庇護のもと、いきいきとしています。これがHIVなどの伝染病に侵される前の“平和なアフリカの村”の一般的な風景でした。 が、このKwandingeziに住むMhlongo一家が経験した、それこそ、“あれよあれよ”と言う間の転落の歴史は、いまとなっては、国を問わず多くのアフリカの家族が辿る道になっているように思います。 このMhlongo一家、たった4年前までは、車も数台、テレビもPCも保有する地域ではかなり有名な裕福な家族だったのです。 ところがいまは、祖母祖父がなんと20名もの孫たちを育てている現状になってしまいました。 子どもたちの親はどうしたと思いますか? 子どもたちの年齢、下は4カ月から上は10代の後半まで広がっています。つまりこの子どもたちの親は働き盛りの年齢なのです。 この子どもたちの祖父母にあたる夫婦には、そもそも16名の子どもがいたのです。ところが、2010年9月現在、生存しているのはそのうちの3名のみ。また、この3名の中の1名はもう寿命いくばくか、というくらい病に伏せっています。 そうです。子どもたちの大変はHIV/Aids に感染して、その若い命をむざむざ落としているのです。一家の働き手が続々病で命を落としたとしたら、当然、収入が無くなり、持ち物を切り売りする、人に頼る、といった術しかなくなるわけです。 彼らもまさにそのまま転落していったのです。 祖母にあたる女性が泣きながらこう言いました。 「先週は、本当に食べるものがなくて、自殺をしようとしたら、村人が病院(サリーの働く病院)に連絡してくれて、何人かの人が援助してくれたの。こんなに嬉しいことはないです」 HI/Aidsは、本当に恐ろしい病気だと思います。以前住んでいたマラウィでも、あれよ、あれよという間に、村全体が消滅してしまうのではないか、と思うくらい働き盛りの人々がこの病気にかかり命を落としていました。 この赤ちゃんは生後1か月で母を亡くしました。 HIV/Aids が恐ろしいのは、性交渉や麻薬などで使い回す針などで、体液を介してそのウイルスが伝染していくのですが、潜伏期間が3年から12,3年もあることがあり、自分がHIVウイルスに感染していることを知らずに、自分のパートナーにウイルスを感染させてしまう、ということがあります。 アフリカの性交渉に対する認識は、欧米や日本のそれとは違いがあり、結婚、あるいは親密な関係に入ることを前提にしなくても性交渉を持つ習慣がある部族があることも事実です。 でも、これを“ふしだら”と決めつけても何もなりません。 ご飯よりもパンを好む、という食習慣が、“異文化”として認められるのであれば、性交渉の相手を自分たちよりも頻繁に変えることも、その文化に生ききていない人間たちが批判しても、なんの突破口は見えてきません。 異文化を真に受け入れるということはかなりしんどい作業であることに間違いないのです。 が、頭から批判してもどうにもなりません。 日本人の生徒さんたちに聞かれました。 「どうしたら、悪の循環を断ち切ることができるのですか」 私の答えは明確です。 「変化をもたらして、村人たちが自分たちの意思でもっとよい将来を築きあげたい、と思うような教育を幼いころから充実させる以外にないのでは」 どんなに援助をしてもらっても、最終的に自分の足で自分を支えなくては、それは真の意味での自立ではありません。 今回、私はサッカーボールを携えて、彼らの家を訪問しました。日本の人々の善意をサッカーボールに乗せて、この一家の子どもたちを励ましたい、と思ったのです。 が、庭の周りには、寄付でもらったような、発色の美しい、クレヨンが無残にも地面に放置されていました。 せっかくの寄付を大事に扱わないのは、「躾が悪い」からではないのです。 クレヨンなどを持ったこともない子どもたちは、それを箱に入れて、繰り返し、繰り返し、自分たちの遊びに使う、という発想そのものがないのです。 援助をぞんざいに扱っているのではなくて、「大切に扱う」という習慣が、人がくれるおもちゃに対しての“お礼”になる、と結びつかないのです。 久しぶりに訪れた現地のHIVの被害にさらされている人たち。その現実の厳しさに立ちつくす思いでした。
by yoshimuramineko
| 2010-09-22 07:09
| HIV/Aids
|
ファン申請 |
||