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「あなたの67分を他の人のために使ってください」
これは、今年7月18日に91歳を迎えた、南アの元大統領・ネルソン・マンデラ氏からのメッセージです。 “67”という数字は、91歳のマンデラ氏が彼の91年間の人生で、人のために費やした年月が67年になる、ということからです。 10本のろうそくの飾られたケーキ。マンデラ夫妻はいつも幸せそうです。 マンデラ氏のことは去年のこのコラムでも紹介させていただきました。 南ア人だけでなく、先月亡くなったマイケル・ジャクソンなど世界の著名人もマンデラ氏のことが大好きで、彼のためならば皆が「何かをしたい」と思ってしまうようです。これを、南アでは、「マディーバ・マジック」と呼んで、とっても誇りにしています。 マンデラ氏は、「コミュニティでのサービスでもいい、困っている人の話を聞くだけでもいい、自分以外の人のためにあなたの67分間を使ってください」と言いました。 しかし!苦笑してしまったのは、19日の朝刊に載っていたプレトリアでの警官の話です。何でも18日、67人の犯罪者を検挙した、というのです。でも、この数字は「偶然」というコメントがついていましたが……。 さて、私の“67分”は何にしようか、と考えました。南アにはそれこそ、いろいろな場で自分の手足を動かして人のためにすることはたくさんあるからです。 今回、私は、2週間前に娘を亡くしたある女性の元に行き、彼女に彼女のその娘さんのことを話してもらうことにしました。 その娘さんとは、名をGOODNESS−グッドネスと言いました。 生まれたのは1982年9月、享年26歳です。あまりにも早すぎる死でした。グッドネスは、最愛の一人娘アサンダを残して亡くなりました。 グッドネスとアサンダの残されたたった一枚の写真 私は生前のグッドネスとは一回しか会ったことがなかったのですが、実はグッドネスは、我が家のスタッフであるプレシャスの妹だったので、彼女の様子は折につけ耳にしていたのでした。 私がグッドネスのことを心に留めたのは、数年の前のこと、彼女が地元の新聞の奨学金の懸賞論文に応募して優勝し、その賞金で近くの町の簿記学校に通いだした、ということを聞いたときでした。 南アで若い女性がこういうイニシアティブを取り、積極的に人生を切り開こう、ということがどれだけ素晴らしいことであるかをどう説明しましょうか。南アでは、インターネットなどの通信手段はまだまだ一般的ではありません。彼女はコンピューター環境に親しむような生活はしていませんでした。 彼女の手にしたのは、無料のコミュニティ新聞だったのです。 こういった普通であれば簡単に読み捨てるような新聞を、彼女は丁寧に読み、そこに自分のチャンスを見出し、そして行動した、と言う一連の彼女の“意欲”に、私は心から感嘆しました。 実は、アフリカで長い年月を過ごしている私と私の夫は、将来にどこかに明るい希望が見えそうな時には、必ず、そこにその“希望”を見ようとしている人がいることを体験から知っているのです。 私たちはこちらでいろいろな事業をしているので、将来的には彼女にも経理部分で働いてもらえるといいなぁ、とも考えていたのです。 それが、突然、こんな顛末を迎えてしまったのです。 グッドネスは腹部に痛みを覚え、あれよ、あれよと言う間に患部が膨張しました。この時点の病状を聞いた私は「もしかしたらHIVに感染しているのだろうか」と心配していたのですが、その心配は残念ながら的中していました。 グッドネスはHIVに感染していたのです。 彼女の姉であるプレシャスはこのことを知りませんでした。が、大家族で生活しているその一人の姉には自分の感染のことは告白していたようで、彼女が出産前から薬を服用していたこと、アサンダにはただの一回も母乳を与えなかったことなどが、あとから判明しました。 プレシャスとアサンダ。アサンダはプレシャスが大好き。 HIVの感染のことはまだまだタブーなのだ、ということを改めて思い知らされました。プレシャスの一家は本当に落ち着いたいい家庭で、たとえHIVの感染が分かったとしても、彼女を家から追い出したり、差別したりすることはありません。 でも、そんな家庭環境でも、グッドネスは自分の感染を隠すことを選んだのです。 グッドネスの母親であるメイビスが、他の大勢の孫や娘に囲まれながら、グッドネスのことをこんなふうに話してくれました。 「私の娘たちの中でもグッドネスは本当にいい娘だったの。優しくて、優しくて。人と争うくらいなら、自分で損な役割だって引き受けるような娘だった。いい娘だったのよ、本当にいい娘だったの」 私は彼女が空を見ながらグッドネスのことを話すのを、ただただ聞かせてもらいました。自分の子どもの一人を亡くす、というのがどれほどの衝撃であるかということを考えながら……。涙をこらえることはできませんでした。 実は、グッドネスの死はもしかしたら避けられたかもしれなかったのです。グッドネスの病状が悪くなったのは、ちょうどこの州の病院の医師たちが待遇改善のためのストライキをしていた時だったのです。 今となってはもうどうしようもないことなのですが、グッドネスの病気が悪くなったのが、あと一月遅かったら、いや、数週間遅かったら、と考えてしまいます。 あのストライキが行われていた時、急に病状が悪くなった、しかも健康保険に入っていない一般の病人は、多くが家に帰されたり、医師不在のまま何も処置が施されないままで放置されたのです。 人の生き死に関わる問題なのに、本当にこれは、“あれよあれよ”、と言う間の出来事でした。 グッドネスの死を知らされた私たち全員が、「えっ、まさか」と立ち尽くしたのです。プレシャスも私もこんなに突然に彼女が亡くなるとは想像もしていなかったのです。ましてその時点で私たちは彼女のHIVのことを知らなかったわけですから。 享年26歳、というあまりにも若いグッドネスの年齢が私の心を引き裂くようです。また、彼女がどんな思いで我が子に母乳をあげることもできず、母子感染を避けようとしていたか、ということも、彼女の孤独感が想像できるだけに不憫で不憫でなりません。 私の“67”分は、グッドネスのお母さん、メイビスのそばに座って、彼女の思い出話を聞くことで過ごしました。何の力にもなれなかった自分の非力さを悔しく思います。でも、私はこの残されたアサンダが、この家族の中で大事に育てられるのを輪の外側からでも、見守りたいと思っています。将来、彼女の教育にも積極的に関わっていくつもりです。 グッドネスが一番大切にしていたアサンダが健康で大きくなるよう、皆さんもお力添えください。 アサンダのお誕生日は9月15日。大きなケーキを焼きましょうね。
ショウコもアサンダを大切に抱っこしていました。
by yoshimuramineko
| 2009-07-20 23:07
| アフリカの空のした
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