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秋山ちえ子さんのこと その二

秋山先生から教えていただいた“あること”とは、実は、よく考えてみれば、当然のことなのかもしれません。ちょっと勇気は要りますが。

“あること”とは、人に褒めてもらったり、人を褒めたりすることを、素直に受け止める、誠実に実行する、ということです。

秋山先生が、ご著書を出されたときのお祝いに伺った席で、

「峰子さん、人はね、何歳になっても、褒めてもらうのって、本当に嬉しいのよ」

と、たくさんの花束に囲まれて微笑みながらおっしゃっていました。

私はそのとき、こんな著名な方がなんて素敵にご自分のことを話されるんだろう、と感動していたのです。そして、「ああ、褒めてもらって嬉しいのは、子どもも大人も変わらないんだ」ということを実感し、この“褒める”ということを、私たちが毎日の生活の中で、もっとたどしどし実行していくことが必要だなぁ、とつくづく思いました。

そして、このとき、「私もこれをやって行こう!」と決心したのです。

日本の文化では、謙遜という文化があって、自分が褒められたら、「いいえ、とんでもありません」と自分を卑下するのがよし、とされていますね。まして、自分の子どもや家族のことを褒められて、「そうなんです!」と膝を打ったら、その人の見識を疑ってしまう、というような感覚も確かにあると思います。

でも、私は、このコラムによく登場させる自分の息子や娘のことがとっても好きで、「本当にいい子たちだなぁ」と正直、感心して、それを文章にさせてもらっているのです。こんなことができるのも、私が、もうかなりのずうずうしい年齢になっていることと、秋山先生の「いいのよ、正直に自分の心を表現なさい」というありがたい励ましに支えられているからです。

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そして、「ああ、この人に何かしてあげたい」という応援の気持ちをさらりと実行することは、そんなに難しいことではないのです。相手が戸惑うかな、とか、かえって迷惑に思われたらどうしよう、という気持ちが湧きあがるのは理解できるのですが、単純に応援しているよ、という気持ちを正直に表現して、嫌がる人はそうはいないはずです。それに、もしもそういう人に当たってしまっても、そんなところでくじける必要はまったくなしです!そういうときは、そろそろ退場して様子を見ましょうね。

私の場合は、がんばっている友人にご馳走することもあるし、何かよろこびそうなちょっとしたモノをプレゼントしてしまうこともあります。若い人のために、スポンサーがいなければ、絶対実現しないことのお財布役をさせてもらってしまうこともあります。だからと言って、私が超お金もち、ということではまったくないのですが……。普段はケチなので、スーパーなどでは、細かく値段をチェックする習慣は何十年も変わりません。

でも、縁があって何らかのつながりがある仲間は私の宝物だと思っています。その人たちのために、自分で稼いだ少々のお金を使うことに躊躇はありません。

なので、私は人に、「何で?」と思われようと、自分が「そうしよう!」と思うことには、世間の常識とか、人さまの思惑とかにはあまり影響されることなく、どしどしと動いてしまいます。せっかくめでたく大人になって、自分の能力の生かせる仕事に恵まれて、仕事をして収入があるのだから、自分の思うとおりにお金を使うことは、私にとってはこれこそが、「大人のお金の使い方」だと思っているのです。

また、物やお金だけでなく、自分の時間を使って、昔の生徒たちや友人たちの相談に乗ったり、文章を校正したり、英語や日本語を翻訳したりすることも、これとまったく同じ感覚なのです。友人や教え子たちに私の出来ることを覚えておいてもらえて、それを彼らに使ってもらえることが何とも嬉しいのです。だって、覚えてもらっている、ということは、私と彼らがまだまだつながっている、という何よりの証です。私はそれが本当に嬉しい。

さて、この写真を見てください。

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今回はショウコがモデルです。14歳にして、
身長174センチの彼女にもよく似合ていますね。


ハイヒールもめったにはかないし、高額なブランド物のバッグやお洋服など本当に持ったことのない私ですが、イッセイ・ミヤケ氏の“プリーツ・プリーツ”というブランドのお洋服には憧れていました。体を締め付けないし、ウエストがゴムですし(!)、色がはっきりとしたものが多いのも私好みです。

実は、これ、秋山先生にそっといただいた“お小遣い”で購入させていただいたものなのです。

あるお正月のこと、アフリカから一時帰国していた私は久しぶりに秋山先生にお目にかかりました。先生のご自宅で楽しく時間を過ごさせていただいた後、先生がそっときれいな“ぽち袋”にお小遣いを入れて下さったのです。

最初はもちろん恐縮して、後ずさりしてしまいました。

でも、先生の

「いいのよ、あなた、がんばっているでしょう。私はあなたを応援したいからこんなことをしたいのよ」

とおっしゃるその奥深い笑顔に、私は知らぬ間に頭を深く下げてお礼を言っていたのでした。

このとき、私は、ものすごく恐縮しながらも、単純に、ごく単純に、心から嬉しかったのです。まるで10代の女の子に戻ったかのようにドキドキ、わくわく心が躍ったのです。

そして、このお小遣いは、食事とか、本とかに使うのではなくて、普段自分ではなかなか買えないような物を買って、長く大切に身につけさせてもらおう、と決めたのでした。

そこで、購入したのが、このイッセイ・ミヤケ氏の“プリーツ・プリーズ”のワンピースとジャケットだったのです。

「南アでこれをプリーツ・プリーズと分かる人はいないだろうなぁ」

と思っていた私。でも、失礼しました!この洋服を着るたびに、

「あら、イッセイ・ミヤケ?」

と何人もの南ア人に聞かれたのです!

いやあ、すごいですね、イッセイ・ミヤケ氏。改めて感心してしまいました。

調子に乗った私は、日本に帰ると、その訪れた街のデパートなどで、このプリーツ・プリーズのお店を覗くようにしています。気にいったものがあると、エイヤ!と思い気って購入します。

これは私のささやかな“日本人のデザイナー”の服をアフリカで着る、という贅沢です。

そして、私は、このイッセイ・ミヤケ氏の洋服を身にまとうたびに、私は先生の応援の声を聞くことができるのです。「あなた、がんばっているわね。応援しているわよ」という声を。

こういう楽しい思い出や贈り物は、私たちの毎日を本当に豊かにしてくれますね。私は自分の出会った人とのつながりを大切にしたいので、これからもどしどし、言葉でも、メールでも、またプレゼントでも、お裾わけをしていきたいと思っています。
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by yoshimuramineko | 2009-02-23 07:02 | この人が素晴らしい

秋山ちえ子さんのこと その一

私には人生のお手本になる人が何人もいます。もちろん、その中には会ったこともない歴史上の人物とか、マザー・テレサや、ネルソン・マンデラ氏なども含まれています。

そして、私はものすごく単純なので、書物とか、彼らのスピーチの原稿などを読んでは、はらはらと泣き、「私もがんばろうじゃないの!」といきり立つわけです。

さて、皆さんは「メンター」という言葉をご存知でしょうか。

大辞泉によると、
「優れた指導者。助言者。恩師。顧問。信頼のおける相談相手。ギリシア神話で、オデュッセウスがトロイ戦争に出陣するとき、自分の子どもテレマコスを託したすぐれた指導者の名前メントール(Mentor)から」

ということです。つまり自分が心から尊敬できる人のことですね。精神的な面での指導をしてくれる人、という捉え方も多いようです。

いま、私が読み進めている本、『Three Cups of Tea』Greg Mortenson & David Oliver Relin著にも、モーテンソン氏のメンターであったパキスタンのカラコーラム・コルフェ村の村長、Haji Ali という人物が出てきます。彼は、この本のタイトルともなった、この村に伝わる教えを著者モーテンソン氏に教えました。

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「私たちのつきあいとは、三杯のお茶を飲みながら始まります。一杯目、あなたは見知らぬ人、二杯目であなたは友人になります、そして三杯目にはあなたは私たちの家族の一員です。私たちは家族のためならば、どんなことでもします、それがたとえ“死”をもたらすことだとしても……」

背筋が伸び、体の芯が震えるような“教え”です。世界は本当に広くて、私たちの知らない素晴らしい世界があちらこちらにあることを教えてくれます。

この本のことはまたの機会に詳しく書きますが、このヒマラヤ山中の極貧の村での体験から、モーテンソン氏は登山家から転身し、ここ15年くらいの間に、パキスタン、アフガニスタンに78にも上る学校を建設したのです。様々な脅迫、誘拐などにも負けずに。

さて、メンターに戻りましょう。

私が今日ご紹介したいのは、今年、92歳になられる評論家の秋山ちえ子先生です。先生は、1948〜56年、NHKラジオ「婦人の時間」、「私の見たこと、聞いたこと」を担当されたあと、TBSラジオでの仕事に入り、「秋山ちえ子の談話室」は1957年から2002年まで1万2512回放送をされました。その後、同じTBSで毎週日曜日の放送を2005年まで続けられたのです。私もこの日曜日の番組には2回ほどゲスト出演させていただきました。

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私が日本で生活していたある朝のことです、番組の中で秋山先生が、「世界地図」についてお話をされていました。私は、毎朝の通勤途中の車内でその番組を聞かせていただいていたのです。その頃私は「国際理解教育」という考え方を英語教育の基本にする仕事をしており、その一環として、『ピーターズ図法』で描かれた世界地図を日本にも広めていたのでした。

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拙著『公立小学校でやってみよう!英語』草土文化2000、P42より。

双方の地図の日本の位置ではなく、アフリカ大陸の大きさに
注目してください。ピーターズ図法で表された大きさが実測に近い。


『ピーターズ図法』とは、球体である地球を地図という平面にしたときに出る誤差を、全世界の地域、国に平等に配した図法です。反対に、私たちがよく知る地図は、『メルカトル図法』で描かれたもので、北半球にある国々が地図上の面積が大きく見えるように、その誤差を使っている図法なのです。ただし、『メルカトル図法』の方が、国々の“形”は実態に近いのです。

メルカトルさんは、今から500年以上前の大航海時代の人ですので、この誤差の使い方にも理由があるのです。大航海時代には、各国の実際の大きさはそう重要ではなく、航海の目的としての地図の役割は、その海岸線の正確さが求められたのでしょう。何事も、その目的によって、最終的な製品が異なってくるのはいつの時代にも通じる真実です、

でも、私たちは、いまの時代の子どもたちには、より正確な面積比で描かれた世界地図を提供してあげたい、と考えていたのです。500年前に航海に必要だった地図と、国際情勢や様々な文化を先入観なしで学ぶ必要のある現代の子どもたちには、こういった二種類の地図を比べて提示することさえ、「国際理解教育」の始めの一歩でもあるのでした。

さて、私はTBS経由で秋山先生に、このピーターズ図法と共に、どうしてこの地図を日本の子どもたちに知って欲しいか、また、子どもたちが英語を学ぶ動機とは、「世界に平和をもたらすためにするコミュニケーション能力のひとつ」なんだよ、ということを子どもたちに訴えたい、という熱のこもった手紙を送らせていただいたのです。

ここから私と秋山先生のお付き合いは始まりました。

秋山先生は、「戦争の悲惨さを語り続けること」と「置いてきぼりになる人がいない社会を目指すこと」を二つのライフワークと決め、毎日、ラジオや執筆で地道な活動を続けてこられました。

先生のお宅に何度もお邪魔したり、美味しいものをご馳走になったりするたびに、先生のお話を聞く機会に恵まれました。

「世界を訪ねて、公園やスーパーマーケットでたくさんの人と話して、そこからわかったことはね、国が違っても、普通の人々の暮らしは何も変わらないということなのよ。ブツブツ文句を言いながら働いたり、嫁姑で悩んだり、休日やお祭りにははしゃいで楽しんで、それが終わればまた働いて……。戦争で死んでいくのは、そういう普通の人々なのよ」

先生は、私のしていることに、ご自分の若かった日々を重ねるようだ、ともおっしゃってくださいました。実は、初めてお目にかかったとき、私は40歳、先生は80歳、ちょうど半分の年だったのです。

「あなたの行動半径は、きっと、これからも広がるわね。私があなたの時代を生きるとしたら、きっと同じだったと思うわ」ともおっしゃいました。

私は、先生に出会う前も、英語教育の中身として、人権のこと、平和のこと、行ったこともない国や地域に住む人々のことを考えられるような個性を育みたい、と教材を作成し、先生方に訓練もし、そして実際自分の生徒たちにもそのことを訴えてきました。

私の講演や出版物で私の考えていることに賛同して集まってきてくれた優秀な仲間と、心ある出版社の編集者さんたちには恵まれながらも、そのころ日本を覆っていた「流行りものの英語教育」とはかなり極端に違う英語教育だったため、ほとんど日本中を相手に奮闘していた感もありました。

そんな中、秋山先生の応援はどんなに心強かったことでしょう。

「思った通りに進みなさい。時代はやがて追いついてくるはずよ」とも励まされました。

平和のこと、戦争のこと、私もアフリカの生活を通して皆さんに知っておいてもらいたいことがたくさんあります。その中には、私が毎週運営するビーズ教室に通ってくるエイズの患者さんたちも含まれています。

秋山先生のライフワークの「置き去りにされる人がいない社会」とは、私にとっては日本だけではなく、アフリカをも含めた地球規模でのことなのです。

多くの人が、「私一人が何をしたって世の中が変わるわけがない」という思いを抱いてしまいます。これはもう、ものすごくよく理解できます。私だって、何回も何回もへこたれそうになっています。

でも、実は、そんな私でも、“あること”があるので、前進していけるのです。そして、その“あること”とは、実は、秋山先生に教えていただいたのです。

この続きは来週に!
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by yoshimuramineko | 2009-02-16 13:02 | この人が素晴らしい

オバマ大統領と『花さき山』

やさしいことを すれば 花がさく。
いのちを かけて すれば 山が うまれる
うそでは ない、ほんとうの ことだ……。


私がオバマ新米国大統領の就任スピーチを聞きながら思い出したのは、斎藤隆介作、滝平二郎の素晴らしい切り 絵の絵本、『花さき山』でした。

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岩崎書店刊

人のことを思って辛抱すると、そのやさしさが花をさかせるという、“花さき山”。この絵本が出版されたのは1967年のことです。当時、作者の斎藤隆介氏は、「戦後自分のために生きたい命を、みんなのためにささげることこそが、自分を更に最高に生かすことだ、と信じてその道を歩きはじめた人がおおぜい出てきました」と書かれています。

これが本当にそうであったかをここでは言及しません。でも、私はこの日本の優れた絵本が訴える『花さき山』が、いま、世界が熱狂して迎える米国初の黒人大統領の就任スピーチの中に再現された、と思いました。

彼が多くの人を惹きつけてやまないのは、彼の「Empathy ー 共感する心」を大切にする姿勢がとても心強いメッセージを送ってくれるからではないでしょうか。

「共感する心」とは、人々の喜びや悲しみ、苦しみを「自分に起こったと同じように感じる心」です。

この言葉はよく「Sympathy-- 同情する心」と混同されてしまいますが、似ているようでまったく異なります。

Sympathyは、自分と同じ価値観を持っていたり、自分が同調できるからこそ生まれてくる感情ですが、Empathy とは、価値観や立場が違っても、その人の考えていることや境遇に、理解を示し共感する感情を意味します。

実は、世界の多様な文化と共生していくためには、人々の「共感する心」が不可欠です。

でも、これは、計算力とか読解力とかと同じように、想像力や許容力はとっても重要で必要だ、ということが私たちの共通の認識として社会に認められていないと、人々に「共感する心」はなかなか育ちません。この「共感する心」は、想像力を働かせて、未知の物事をいきなり否定せず、ゆっくり受け入れる、というところから生まれるからです。

さて、前政権の方針だったのでしょう。米国がこれまで見せてきた姿勢、「自分たちだけが安全だったらいい、自分たちを守るためには何でもする」は、結局米国をテロの標的とさせ、世界から孤立する“寂しい大国”となってしまいました。

つまり、「一人勝ちの幸せ」、「一国だけの繁栄」は、存在しない、という厳粛な事実です。

私が日本でも日本の外でも、子育てをしているお母さんたちにお話させていただく機会があるときに、必ず紹介する考え方があります。

「子どもは、一人では幸せではありません。“幸せな子ども”は、他の“幸せな子どもたち”に囲まれてこそ、真の“幸せな子ども”でいられるのです」

これを“国家”のレベルに引き上げれば、どうして経済的に豊かな国が経済的に貧しい国を援助しなくてはいけないか、がクリア―になるかもしれません。

“繁栄する国”、“人々の意志が尊重される国”という状態が、ある特定の国々、地域だけで実現しているとしたら、「これは何かがおかしい」と人々が疑いの目でその状況を注視することが大切です。

何故なら、これらが実現されていない国で生活する人々の中で、必ず自分たちの置かれているそういった状態への不満が高まり、社会不安を起こし、ひいてはそれが実現されている国への嫉妬や憎悪につながり、世界的な不穏を引き起こす可能性があるからです。

Cafeglobe の連載、浜矩子さんの『vol.84 弱者救済が本当に必要な理由』もご参照ください。経済学者の浜さんが、経済学の視点からこの状況を明快に説明してくださっています。

だからこそ、そういった国々、地域に住む人々に向かって、「一緒に問題を解決しよう」という新しい米国大統領の力強いメッセージが大きく人々を動かすのです。オバマ氏がこのスピーチの中で具体的にこのことを言及したのは、以下のところです。

To  the people of poor nations, we pledge to work alongside you to make your  farms flourish and let clean waters flow; to nourish starved bodies and  feed hungry minds.  And to those nations like ours that enjoy relative  plenty, we say we can no longer afford indifference to suffering outside  our borders; nor can we consume the world's resources without regard to  effect.  For the world has changed, and we must change with it.

『貧しい国の人たちへ誓います。私たちは皆さんと一緒に、農場に作物が実り、きれいな水が流れ、飢えた体に栄養を与え、乾いた心を満たすことを実現するように動きます。私たちと同じように比較的裕福な国々の人たち、国境の向こう側の苦悩にもう無関心ではない、影響を考えず世界の資源を消費することもない、と宣言しましょう。世界は変わりました。だから、私たちも世界と共に変わらなければならないのです』

オバマ氏はどうしてこういったことが必要か、という説明として、「人々の責任」について以下のように言及しています。

What is required of us now is a new era of responsibility  ‐ a recognition, on the part of every American, that we have duties to  ourselves, our nation, and the world, duties that we do not grudgingly  accept but rather seize gladly, firm in the knowledge that there is  nothing so satisfying to the spirit, so defining of our character, than  giving our all to a difficult task. This is the price and the promise of citizenship.

『私たちに求められているのは、新しい形での責任を引き受ける時代に入ることです。米国人一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、なおかつその義務をいやいや引き受けるのではなく、喜んでこの機会を捉えることが大切です。困難な任務に私たちのすべてをかけてあたることこそ、私たちの心を満たすことはありません。そしてこれこそが、私たちの生き方を示す、という固い信念のもとに。 これが市民としての代償であり約束なのです』

新しい時代の民主主義の社会に生きる「市民」として、米国内に収まらず、世界に向けても自分たちの責任を喜んで果たそう、という決意は、私が知る大らかで寛容の精神にあふれるかつての「米国の良心」そのものです。

そして、米国の人間が心の中でとっても大事にする大らかな「理想主義」が、力強く訴えられました。オバマ氏は、勤勉さ、正直さ、勇気、フェア―な精神、好奇心、誠実さ、そして国を大切に思う心、というこれらの“米国人が信じていたかつての古い価値観”こそが、真実であり、ここに回帰することが、これからの米国を再生には必要なのだと明言したのです。

そして、私の心に「花さき山」が浮かんできたのはここの部分です。

For as much as government can do and must do,  it is ultimately the faith and determination of the American people  upon which this nation relies.  It is the kindness to take in a stranger  when the levees break, the selflessness of workers who would rather cut  their hours than see a friend lose their job which sees us through our  darkest hours.  It is the firefighter's courage to storm a stairway  filled with smoke, but also a parent's willingness to nurture a child,  that finally decides our fate.

『政府はやれること、やらなければならないことを実行します。が、最終的に、米国が真に頼るものとは、国民の信念と決意です。それらは、堤防が決壊した時、見知らぬ人を自宅に助けいれる親切であり、厳しい時に友人が職を失うのをただ傍観するより、自らの労働時間を削りその痛みを分かち合う無私の心です。我々の運命を最終的に決めるのは、煙に覆われた階段を突進する消防士の勇気であり、子どもを育てる親の意思であるのです』

見知らぬ人を自宅に助け入れたとき、花さき山に花が咲きます。

自分の収入が減ったとしても、友人の職が失われることに抵抗するとき、花さき山に花が咲きます。

煙の中に進んで突進して行く消防士さんの一歩一歩の足取りには、その一つ一つと共に山が生まれているのです。

そして、子どもの幸せを願う多くの大人たち、親たちが、自分の眼の前の子どもたちだけでなく、世界の多くの子どもたちの幸せに思いを馳せることができ、何らかの行動ができたなら、きっと私たちはオバマ氏と一緒に、きれいな花がたくさん咲く大きな山をいくつも世の中に残すことになるでしょう。

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by yoshimuramineko | 2009-01-26 17:01 | この人が素晴らしい

世界最高高額紙幣、ジンバブウェ・ドル入手!

先週末から今週にかけてジンバブウェから日本人のお客様がいらっしゃいました。

日高やよいさんは1996年からジンバブウェの首都・ハラレにお住まいです。今回はお仕事でダーバンへ。そのついでに、「やよいさん、あのジンバブウェの高額紙幣を持ってきてもらえる?」とおねだりしたのでした。

よ〜く、見てください。

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1000億ジンバブウェ・ドルです。英語では、“ワン・ハンドレッド・ビリンオン・ドル”と、ものすごい迫力の数字になります。

ただ、これは、2008年8月のデノミで、この11個並んでいるゼロが10個、無残にも一挙に償却され、何と一夜にして、1000億ジンバブウェ・ドルが、10ジンバブウェ・ドル、となった運命をたどりました。当然、この何枚刷られたかもわからない高額紙幣は、たった2か月の使用期間を持って、まったくの紙切れとなったのです。印刷代だって、馬鹿にならないはずなのに……。

念のため、このデノミの前の段階で、このゼロの11個並んだお金で何が買えたのかを聞きました。

やよいさんいわく、

「……よく覚えていない、でも、発行されたときは確か、これでUS1ドルだったと思う」

この頃、スパゲッティ(500グラム)が一袋US3ドル(約300円)だったということですから、この高額紙幣が3枚、値段としては3000億ドルがなくてはスパゲッティ一袋も変えなかった、ということになります。ジンバブウェ経済がどれだけ混乱しているか想像できます。

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ただし、現在はこういった状況がかなり好転しているようです。それは、すばり、3か月前から、政府に申請してそれが許可さえされれば、商売に米ドルが使用できるようになったからだそうです。今ではスーパーマーケットの表示も米ドルになりました。モノが流通し始めることで、経済が活況してくるのはどこの国でも同じです。ですから、米ドルが入手できる人たちにとっては、現在のジンバブウェはかなり落ち着いてきた、ともいえるそうです。

でも、米ドルなどが手に入らないジンバブウェ人はどうしているのでしょう。自国の貨幣が機能していない、ということは、その貨幣を使っての経済活動ができない、ということなのです。これは多くの場合、自給自足、あるいはどこからかの援助を待つしかない、ということになってしまうのです。

地元の商社で働くやよいさんも、いま、お給料は米ドルでもらえるようになったそうです。でも、現地採用で働く、正直言って、決して高額とは言えないやよいさんのお給料では、この天文学的なインフレのジンバブウェで生活していくのは並大抵の御苦労ではないと思います。

さて、やよいさんのことをご紹介しましょう。やよいさんは、日本の商社勤務だったお父様の赴任に伴って、小学校入学前後4年間ほど、南アフリカのヨハネスブルグにお住いだったそうです。その当時、お父様は頻繁にジンバブウェに商談に行き、ジンバブウェに暮らすドイツ人の友人を得ました。

そのドイツ人の方に、「日本の商社を辞めてジンバブウェで一緒に事業を興そう」と誘われたそうです。ただ、お父様がそれを実現されたのは、それから20年の時間が経ってからでした。

そして、お父様とお母様がジンバブウェに移住されるとき、もう社会人として働いていたやよいさんもやよいさんのお姉さんも、

「……アフリカに惹かれて、」

かつての豊かで美しいジンバブウェに一緒にやってきたのでした。

ただ、ここからが愉快なのですが、それから10数年後、いろいろな理由で日本に帰ることになったご両親とは逆に、やよいさんとお姉さんは日本には戻りませんでした。そして、お二人でまだ政治的にも経済的にも世界最悪の状況とも言えるハラレに住んでいらっしゃるのです。

「どうして?こんなに厳しい状況のジンバブウェに住み続けるのですか」

という質問にこんなことを答えてくれました。

「もう、アフリカの方が気持ちよく暮らせるからです。それに、日本で何をしたらいいのかもわかりません。日本で働けば日本で暮らせるお給料をもらえるかもしれない。でも、そのお給料は日本でかかる生活費で消えて行ってしまう。そうだったら、生活はかつかつでも、広い家で大好きな犬に何匹も囲まれて過ごすことができるこちらの生活の方が私は好きなのです」

やよいさんは小柄で大変美しい日本女性です。しかも、控え目で、現在の混乱極まるハラレに生活しているような女性には見えません。また、国連やNGOの職員で、何らかの信念があってアフリカにいるような方でもありません。やよいさんは独身でいらっしゃるので、旦那さんがいるから、という理由でもありません。

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でも、やよいさんはジンバブウェを離れる意志はないそうです。

私はやよいさんとお話をしながら、本当に心が楽しくなってきました。

やよいさんのように、かまえず、シンプルに、困難な状況もなんのその、それでも素朴に自分の毎日を誠実に過ごしている人のもつ“爽やかさ”をたっぷり感じることができたからです。

やよいさんは誰に強制されているわけでもないのに、ジンバブウェが好きで、ジンバブウェでこれからも生活したい、と考えて、それを淡々と実行しているのです。

私はこのやよいさんの“しなやかさ”に拍手喝采です。

日本でしっかり教育を受けた人が、そう“モノ”や“居住条件”などといった外側要因に固執さえしなければ、正直言って、これからの生きていく場所を日本に限定することはない、世界で生きていける場所は無限大に近いほどたくさんある、というのが、私の常日頃信じていることなのです。

そうです、無限大です!

そして、私にとっては、cafeglobe のユーザーの皆さんへ、私からのメッセージとして、アフリカに暮らす、こんなしなやかな日本の若い女性を今回皆さんに紹介できたことは、大変嬉しいことなのです。

私は、日本のユーザーの皆様に、アフリカを身近に感じてもらえることを第一の目的に、ときにはアフリカの政治、ときにはアフリカの自然、ときにはこのアフリカに住む私たちの一家の生活ぶりなどを、心をこめて、丁寧に書かせていただきました。

2007年の夏より、私のこの長〜い、とても“ブログ”とは呼べない、“エッセイ・ブログ”にお付き合いいただき、ありがとうございました。心より感謝しています。また、私の記事をきっかけとして発足した『国際町内会』のことなども皆さんにご紹介しようとしましたが、これはまた別の機会に譲りましょう。

皆さんからのコメントや個人メールに大変励まされました。どうぞ、世界中で、素晴らしい2009年をお迎えください。
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by yoshimuramineko | 2008-12-24 04:12 | この人が素晴らしい

息子の名前に託す母の想い

今日は、以前の記事にも登場した我が家のスタッフ、プレシャスをご紹介しましょう。

プレシャス・ムシュロンゴ、1977年生まれの31歳。彼女は南アフリカ最大の黒人部族、ズールー族の女性です。彼女はシングルマザーとして、現在15歳になる彼女の息子、ブリング・ピースを育てています。

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ただ、アフリカの場合、シングルマザーで一人息子を育てている、といっても、彼女たちは一族が暮らす敷地内で多くの家族と一緒に暮らしていますから、彼女一人が孤軍奮闘しているわけではありません。

彼女がブリング・ピースを授かったのは彼女がまだ16歳のころでした。もちろん、まだ学生だった彼女は高校を一年休学して彼を出産しました。そのあとは、お姉さんとお母さんにブリング・ピースを預けて復学し、高校を卒業しました。

「16歳で子どもが生まれてしまって、最初はどうしようか途方に暮れた、でも、子どもがかわいくて、一生懸命育てようと思った」と、その時の思いを語ってくれました。

ただ、彼女のように結婚前に子どもを授かってしまっても、その後その母親や子どもたちが地域で差別される、ということは、あまりないようです。

それは、この部族だけに限らず、南アの黒人部族の多くに共通する、男性側(本人あるいはその家族)から女性家族へ渡されるべき“結納金”の習慣があるからでしょうか。この結納金、伝統的には、牛を数頭とか、貴金属をどのくらいとか、花婿の月収をはるかに超える金額が必要な大がかりなものなのです。そして、男性側が女性の家族にこの一式を完納するまで、正式な結婚を認めてもらえないのです。

ですから母子だけで、親の家に住んでいるケースは多々ありますし、一緒に住んで何人も子どもがいても、正式な結婚はまだ、というカップルがたくさんいます。また、招待されて伺う結婚式の花嫁さん花婿さんが、かなり貫禄のあるカップルであることも珍しくありません。

さて、プレシャスは、ブリング・ピースの父親であった当時のパートナーとはうまく行かず、二人の関係は結婚には発展しませんでした。そして、高校は卒業したものの、独身の女性が仕事を得るのはそう簡単ではありませんでした。ただ、南アフリカで高校を卒業する、というのは日本の大学卒にも匹敵するくらいの価値のあることなのです。統計を見ても、南アの黒人で高校を卒業するのは、2005年では26%です。

結局、彼女が初めて働き、手にした収入というのは、高校卒業の資格は必要ないメイドさんの仕事からだったのです。しかも、この仕事は、お母さんの体の具合が悪くなったことにより、彼女が後を引き継ぐ、という形でした。

でも、これが縁で、彼女と私たちの出会いがありました。

私たち家族が南アフリカに移住して、最初に雇ったメイドさんが彼女だったのです。これまでもアフリカのいろいろな都市で生活してきましたが、南アに来た当初、実際、南ア人がどういった形でメイドさんを雇っているのか、どういう仕事をさせているか、など手探りの状況でした。

彼女を雇用した私たちはじっくりと彼女の働きぶりを観察しました。まず、家の中で働いてもらうスタッフですから、信頼関係をじっくりと築けるか否か、というのは大きな問題です。

彼女がいかに際立って優秀か、ということは彼女の毎日残すメモ書きから判断できました。「トイレットペーパーがもう少しで無くなります」に始まり、私たちが留守の際に取った電話などの伝言も的確でした。

そこで、彼女には徐々に事務の仕事もしてもらうようにしました。それから、日本食の修業も始めてもらいました。南アでも、日本食は徐々に人気が出始めていて、将来的に日本食も含めたビジネスへのチャンスがあると思い、私はその時のために、南ア人のスタッフに日本食の作り方の基本を学んでほしかったのです。

私は、身近なアフリカ人のスタッフに技術を身につけてもらって、単純労働の域を超えてもらうのがとても嬉しいのです。

そして、私たちの元で働き始めて丸5年のいま、プレシャスは、トラックも含めた運転免許を収得しました。PCでの簡単なデータ入力ができます。そして、普通の日本の主婦が作る毎日の日本のお惣菜、とんかつ、コロッケ、カレー、シチュー、ミートソース、肉じゃがなどは一切の指導なしで完璧に作れます。

しかも、運転ができるので、これらの材料を調達するところから、一人でできるのです。彼女にはいずれ、日本食のこういった料理を提供するレストランのチーフにもなってもらおうか、という計画も進みつつあります。

実は、南アの社会はものすごい格差社会で、いまだに、職業や収入の差で人々が差別されてしまいます。ですから、私たちの友人でさえ、メイドさんにお金をかけて運転免許を収得させたり、日本食を教えたり、といったことを私たちがするのを“驚き”を持って見ていたようです。何人かの友人に言われました。

「メイドはメイド、という図式を疑ったこともない」

こういう人たちを単純に批判することは簡単です。でも、育った環境、慣れ親しんだ人間関係、といったものは“そのまま”にしておくほうがどんなに簡単かは世の中の常です。

その図式を壊すのは、私たちのような新参者だからこそ……、なのかもしれません。

プレシャスの息子、ブリング・ピースも私にとってはもう一人の親戚の子のようなものです。私が唯一レシピなしで作れる失敗なしのシフォンケーキを、プレシャスのお母さんやブリング・ピースのお誕生日にはせっせとプレゼントします。車の座席に余裕があるときは、彼らをキャンプにもサファリにも一緒に連れていきます。

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動物保護区でキャンプをしました。
初めて見た動物にブリングピースは興奮して
夜中に何回も寝ぼけていました!


私は、自分のこどもたちに、人と関わる、その人たちとの関係を深めていく、ということの素晴らしさを、その責任の大きさ、大変さとともに、自然に学んでほしいと思っています。

残念ながら、南アでは、多くの裕福な家庭の子どもたちにとって、自分の家のメイドさんを自分と同じ一人の人間として認識することは稀なことです。子どもたちは、それが“間違い”である、ということも教えられていません。そして、もっと残念なことに、その傾向が黒人の裕福な家庭で多くみられることです。

南アフリカに限らず、アフリカでは極端な生活レベルの格差が隣り合わせに存在するので、自分と大きな経済格差のある人に、自分と同じような人権があるのだ、と意識することが大変難しいのです。

それでも、たとえこういう社会に住んでいても、私は自分の子どもたちに、「人間は平等なのだ、職業で、金銭で人を判断するのは醜いことなのだ」という教えを愚直に説いていく親でありたいと思います。

確かに、私とプレシャスは“友人”ではありません。でも、彼女は私のいまのダーバンでの生活をして行く上での大切なパートナーです。実は、なかなか地元のボランティアさんが見つからないドリームセンターのビーズのワークショップも彼女が毎週、その会計や準備を、責任を持って努めてくれているのです。患者さんたちとのコミュニケーションもお互いがズールー語を話すのでとってもスムーズです。

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彼女の患者さんたちに対する態度は優しく、また、一人一人の名前もよく覚えていて、「○○さんがこう言っていた」、「○○さんの週末の容体はよかったようだ」などと、英語ではなかなか話が通じない患者さんのことを私に報告してくれます。

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実はもう、プレシャスは私の娘のような存在なのです。彼女の人生に関わりあえた幸せ、のようなものまで感じています。そして、何より嬉しいのは、駐在員時代とは異なり、ここでの生活を何年しても、私は彼女たちに「さようなら」を言わなくてもいい、ということです。

私は彼女の自分の息子への命名、「ブリング・ピース〜幸せを連れてくる」を初めて聞いたとき、彼女のその思いに胸をつかれました。こんなに素敵な名前を考えた彼女に心から尊敬の念を感じたものです。

しかし!我が家の鈍感で耳の悪い三名(夫、息子、娘!)、この素晴らしい名前を、なんと、なんと、一年以上、「ブリング・ピース」ではなく、「グリーン・ピース」だと思っていたそうです。

まあ、確かに、言われてみれば、早口で「ブリング」と言うと、「グリーン」と聞こえなくはないのですが……。でも、どこの親が自分の子どもを“グリーンピース”と名付けるんでしょうねぇ。

プレシャスにこの大バカ三人の間違えを伝えたら、腰が抜けるほど笑っておりました。


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ダーバン市内の水族館ウシャカ・マリーンワールドで

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by yoshimuramineko | 2008-11-18 04:11 | この人が素晴らしい

ポール・ニューマン氏とアフリカの子どもたち

米国の俳優、ポール・ニューマン氏が2008年9月26日亡くなりました。
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Newman's Own のホームページより

私にとってポール・ニューマン氏は、南アフリカの元大統領・ネルソン・マンデラ氏と同じように、「ああ、困ったなぁ、どうしよう」と思った時に、その解決策をご自分の生き方を通して、私に暗示してくれるような存在でした。

私はニューマン氏と面識があったわけではありません。

でも、彼の主催する、HOLES IN THE WALL CAMPS という子どものためのキャンプにかけた彼の生き方から、どれほどの勇気をもらってきたことでしょう。

インターネットで入手できるニューマン氏の訃報を伝える日本の報道を見る限りでは、晩年彼が力を注いだ、世界中の恵まれない子どもたちのための活動があまり詳しく語られていないように思いました。

たとえば、朝日新聞のお悔やみ欄では、「サラダドレッシングなどを作る食品会社を起こし、実業家としても成功したほか、ベトナム反戦運動や反核運動にも積極的に参加した。68年の米大統領選で民主党の有力政治家を支援、この選挙で当選した共和党のニクソン大統領の政敵リストにも載った」とあります。

でも残念ながら、この食品会社に関しては、これではこの会社の真の社会的意味が正しく伝わっていません。確かにこのサラダドレッシングなどを製造する会社は、Newman’s Ownといって、25年も前にニューマン氏が設立した“ビスネス”です。

が、この会社、設立当初から、会社の稼ぎ出す、すべての利益を世界中の福祉団体に寄付しているのです。繰り返します、“利益の何%”というようなケチな話ではなくて、この会社は、利益の“すべて”を福祉の目的に使用しているのです。

彼のこの活動に関するモットーに唸ります。

Shameless Exploitation
in Pursuit of the Common Good


訳すると、「みんなの幸せのための、恥をしらない搾取の追及」 ……素敵です!

私は以前にも書いてきているように、1970年代後半の米国で極めてリベラルな教育を受けながら育った人間です。職業的にも、私の教育への考え方は、Outrageously progressive (驚異的なほど先進的な) と自分でも自負しています。

そして、そのそもそもの根っこの部分を支えているのは、実は、ポール・ニューマン氏などに代表される、政治にも極めて明確なリベラルなスタンスを持ち、異文化の違いを喜び、未知なるものに好意的な好奇心を持って接する、といった“古き良き”時代の米国の大らかな“良心”です。このことは、自分も50歳という年齢を迎えて、よく理解できるようになってきました。私はこういった“良心”を持った人たちに囲まれて、職業的な訓練を受けた、幸運な人間なのです。

そして、なおかつ、その“良心”は、やや反骨的な知的好奇心と、足を動かして実際に活動する、という“おまけ”つきです。

ニューマン氏のこの Hole in the Wall Camps とは、彼が、米国の子どもたちが長い夏休みなどに家から離れて参加する泊まり込みのキャンプに、重い病気を持つ子どもたちが参加できない、ということを知ったことが発端です。

彼は、「それならば、自分がそういうキャンプを設立して、病気を持った子どもたちを招待してやろうじゃないか」と思い、それを実行したのです。

しかも、このキャンプは参加者に費用の負担を一切させません。医療関係者も、医療機器もトップクラスのものを揃えて、Holes in the Wall Camps は、病気に侵された多くの子どもたちに、健康な子どもたちと同じような経験を与え、彼らを勇気づけてきているのです。

中には、長い闘病生活ですっかり疲れきって、治療もはかばかしくなかった子どもたちが、このキャンプを励みとして、生まれ変わったように病気に再挑戦する姿さえ報告されています。

私が、ニューマン氏のこのキャンプのことを知ったのは、2002年、マラウィに滞在していたときでした。Holes in the Wall Camps が、アフリカの恵まれない子どもに、アフリカの野生動物を見せよう、というプロジェクトの立ち上げにかかわったのです。

実は、アフリカに住んでいながら、アフリカの野生動物を見たことがない子どもたちがたくさんいます。アフリカの野生動物は観光資源であるために、動物は人々が多く住む場所からは遠く離れた自然保護区に隔離され、それを見るためには高い入場料が必要なのです。また、テレビや図書館などが充実していない多くのアフリカの国々では、子どもたちは野生動物を知ることも、見ることもなく大きくなるのです。

「アフリカの野生動物がアフリカの財産だとしたら、アフリカの子どもたちがそれをまったく知らないで育つのは、おかしいじゃないか」

これは、本当に素朴でまっとうな疑問であり、憤りです。

ニューマン氏は、こういった世の中の矛盾をきちんと是正するために、活動した一人の大人でした。つまり、「それはおかしい」と、思ったときに、何か具体的に行動して、それを是正する、という極めてシンプルな図式を彼は実行したのです。

私は、Hole in the Wall Camps のアフリカでの活動が、アフリカの多くの子どもたちに、希望やたくさんの喜びを与えたのを見てきました。

それを知る人間として、私は彼の訃報に際して、彼がアフリカの子どもに示してくれたこの素晴らしい共感の活動を、彼の俳優としての多くの業績とともに、皆さんにぜひ、知っておいて欲しい、と思いました。

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by yoshimuramineko | 2008-09-29 06:09 | この人が素晴らしい

小さな“優しさ”

日本から遊びに来てくれた友人のお嬢さんと2週間弱一緒に生活をして、ここダーバンで私が最近触れていない、“あること”に気づかされました。

その“あること”とは、そのこと自体に気づくのさえちょっと時間がかかって、でも、その後、ゆっくりと、自然に手が胸に上がってきて、くちびるがほころんで、「はぁ」、と小さなため息をつきたくなる……。それは、そんな、日本の少女の“優しさ”のことです。

南ア移住前の私の仕事は、日本の英語の先生たちに“国際理解教育”という概念を含んだ英語の教え方を、オリジナルな教材を通して伝えていくことでした。その一環として、東京の外れにあった私の自宅で開いていた教室で、私は小学生から高校生までの日本の子どもたちに囲まれていました。

そこで、繰り広げられる子どもたちの何気ない話や打ち明け話に何度胸を熱くしたことでしょう。一見、乱暴にさえ聞こえる子どもたちの中にある小さな“優しさ”。気をつけていないと、目の前をものすごい速度で通り過ぎてしまうような“優しさ”です。別の言葉でいえば、子どもたちの仲間に示すちょっとした“思いやり”でしょうか。

昭和30年代に育った私とは、明らかに異なる環境に生きる現代の日本に住む子どもたち。でも、彼らの中には時代を超えても何ら変わることのない暖かい優しさがたくさんありました。

でも、多くの大人が現代の日本の子どもを非難します。

「我慢が足りない」
「感謝を知らない」
「礼儀をわきまえない」
「人の心を分かろうとしない」

そういった批判を聞くたびに、私はこういう大人は子どもたちに心を開いてもらっていないのだろうなぁ、と思います。

子どもたちは大人と違い、自分の損得で自分を語ることはあまりないと思うのです。特に日本のように、直接的な飢餓や戦争といった大きな危険から守られている国に住む子どもたちは、大人との付き合い方が途上国の子どもたちとは異なります。

子どもたちが大人に表立った敬意を表さない風潮は、ある程度の裕福度がある社会では共通のことです。私はこれを米国でも、欧州でも、日本でも身近に見てきました。でも、これは子どもが選んでしていることではありません。だから、これをして先進国の子どもの大人への態度を非難するのはお門違いです。

現代の日本社会で起こっている子どもたちの犯罪だって、これは社会の中心にいる大人たちが猛反省することだと私は思っています。どうして、親を殺すまでに子どもたちが追い詰められているのか。しかも、親を殺す明確な理由もなしに行われるこういった事件は、個別にその理由を探すことも必要ですが、社会として何を子どもたちに示していくべきか、を大人全体が考える時期に来ていると思うのです。

さて、話は元に戻って、この14歳のリコちゃんの“優しさ”をちょっとお話しましょう。

リコちゃんとヤコちゃんは5歳違いの姉妹です。

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リコちゃんはとっても真面目なお姉さんで、妹ヤコちゃんの活発で怖いもの知らず、末っ子ならではの奔放な性格にちょっとめげるときもあるのでしょう。ヤコちゃんの発言の中にちょっとずうずうしいニュアンスが続くと、「ああああ、もういい加減にして!」と思うときもあるようでした。

でも、私も二人の妹がいますから、これはもう自然な姉妹の葛藤であることがよく理解できます。

ところが、ある日のこと、買い物に出かけた先で、ヤコちゃんのことをとっても可愛らしい、と思ったインド人のおばさんから、「この子はかわいい男の子ね!」とヤコちゃんが言われたのでした。

ヤコちゃんは「えっ?いま、なんて言ったの?」と聞きます。

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その時ちょうど一緒にいた姪が、そのまま英語を日本語に訳そうとしたのです。すると、リコちゃんが、ヤコちゃんに見えないように、姪に首を振って、

「ヤコが元気で可愛いい、って言っているみたいよ」

と、あえて彼女のことを男の子と間違えたことを言わせなかったのです。

これは、リコちゃんにとっては何気ないことなのかもしれません。

でも、私の周りの日本人でありながら南アフリカの社会で育つ甥や姪、ショウコなどには、ヤコちゃんが男の子に間違われたことは、そのまま本人に伝えても、何も差し障りのない程度の内容と理解しているはずです。「ははは、男の子に間違えられちゃったね!」でケロッ、と皆で大笑いしてお終い!でしょう。

でも、リコちゃんには、ヤコちゃんが、自分が男の子と間違えられたことで、あとでちょっと、「……むむむ」と、眉をひそめることが想像できてしまったのでしょう。

たまには、「ああ、うるさい妹!」と思うこともあるはずなのに、こういったとっさの時に、瞬時に相手の感じ方まで慮って、自分の行動に移せる“優しさ”は、日本の子どもたちのきらきら輝く特技だと思います。こういった細やかな思いやりがどれだけ日本の文化の中で重要視されてきたことでしょう。

リコちゃんのこの優しさは、お母さんの優しさのカーボンコピー。遠くから人を優しく慮る亜紀子さんの元で育つからこそ、こういう細やかな心遣いができる少女に育っているのです。

そして、周りにいる大人は、そういった小さな“優しさ”を身近に見かけたら、どんどん子どもたちにその素晴らしさを口に出して褒めてあげて欲しいと思います。

私は、このリコちゃんのヤコちゃんに示してくれた、この“小さな優しさ”、に触れさせてもらって、「はぁ」とため息がでて、心が軽くなりました。「ああ、なんて素敵な思いやりだろう」と、その後、何回もこのことを思い出して心が弾みました。

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リコちゃん、ありがとう!

リコちゃんの優しさは本当に素敵。そして、英語だって、あのインド人のおばさんの英語がしっかり理解できた、ということはたいしたものです。自信を持ってね。

人のつながりとは不思議なもの。一回つながった線はお互いが大切に扱うことによって、太く、長く、延々と繋がっていくのです。

20年前のリコちゃんのお母さんとの出会いが、こんな形で私たちにこの素敵な日本の少女とのひと時をプレセントしてくれました。

リコちゃん、ヤコちゃん、亜紀子さん、またいつでも、アフリカに遊びにおいでね!
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by yoshimuramineko | 2008-08-25 03:08 | この人が素晴らしい