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私は行動する前に、“熟考を重ねて”、ということをあまりしません。
これは決して褒められたことではないですよね。 でも、感覚的に、 「あっ、これ、おもしろい」 とか、 「へええ、いいかもしれない」 「ああ、私が必要とされている……」 と思えた時には、かなりの確率で行動していることが多いのです。 さすがに、新しいことを始める前ドキドキはするのですが、それに足をすくわれて立ちつくす、ということはありません。片目をちょっとつぶりつつも、当たって砕けろ!の心意気で未知の世界にジャンプしてしまいます。 南アに移住したのだって、夫婦共々40代の二人が、南アで再就職先があったわけでもないのに、さっさとそれぞれの仕事を退職して、るんるんと新しい可能性だけに期待を寄せて、海を渡ったのでした。しかも二人の子どもを連れて! そこには、 「う〜ん、駄目だったら、また日本でやり直せばいいね」 という超お気楽な考え方がありました。 結果として、南ア移住は私たちに日本に住んでいたら考えられないような出会いやら人生をもたらしてくれました。 夫は確かに不慮の事故で急逝してしまいましたが、彼が南ア移住したことを後悔していたことは一回もありませんでした。 夫は、南アに移住して自分の会社を興し、組織に縛られることのない生活を心の底から楽しんでいました。だから、あんな形でこの世からさよならしてしまいましたが、彼にとって、「人生悔いなし」の生活を南アで送れたことはシアワセだったと思うのです。 で、もちろん、このお気楽な性格、いいことばかりなわけではありません。嫌と言うほど、大変な思いをすることも多いのです。 「何をしても、後悔はしません」という潔さは、私にはありません。 もう大バケツで頭からどっぷり水をかぶるほど、後悔だってたくさんしてきています。 そういったことが重なると、さすがの私もちょっと反省します。 でも、それが次の行動につながるか、というと、これまた三つ子の魂何とやら……で、なかなかそうはいかないのです。人に騙されたり、利用されたり、といったことだって何回もあります。 そんなことが続けば、どっぷりと何日か、落ち込むこともあります。 でも、落ち込んでも、落ち込んでも、不思議なことに、私はどういうわけか立ち直ってまた前を向いて歩いて行こうとします。 今日は、私がどうやってそのどっぷりと落ち込んだ自分を慰めるか、ということをご紹介しようと思います。 だって、これだけ失敗、後悔をしてきていても、私は、自分の中から湧いてくる「前進して行こう!」というしぶとさが、自分ながらなかなか気にいっているのです。 人生は一回切り。だからこそ、“失敗”くらいで行動を制限していたら、オンナがすたる、というものです。 行動しないでする後悔より、行動したあとでの反省の方が、世の中の空気が軽くなる、というものです。 ふふふ、これだけ前置きが長いと、ものすごい人生指南が来るのでは?と期待させてしまいますよね。 ごめんなさい、大したことはないのです。 私は、自分がどっぷり落ち込んだ時に、必ずすることとは、 「いつものご飯を丁寧に作ってきちんと食べる」 これに、尽きるのです。 夫が亡くなった後も、さすがに最初の一カ月は呆然としていましたが、ご飯をつくることは忘れませんでした。 これは私が、“お母さん”だから、ということもあるのでしょうが、例え、作ったご飯がすんなりと喉を通らなくても、まったく味がしなかったとしても、毎日のご飯を作ることを中断することはありませんでした。 お米を研ぐ、野菜を切る、お出汁を取る、魚、お肉を焼く、プレースマットをひく、お茶碗を並べる、できた食事を盛り付ける。 こういった一連の仕事にただただ従順に向き合います。 今日の朝ごはんはトーストの上にカッテージチーズとアボカド アールグレイのミルク入り紅茶とオレンジジュースも一緒に すると、こういった作業が、自分の体にリズムを取り戻してくれるのです。 もともと、食いしん坊の私のこと、最初は食欲がなくても、こういった作業をして、出来上がったご飯を口にすると、炊きあがったばかりのご飯や、水水しい野菜や、美味しいお魚が、優しく、頼もしく、私を“生きること”への毎日に誘ってくれるのです。 夕飯は、ジンジャーとニンニクにつけたポーク大根おろし添え、 ほうれん草と油揚げ、野菜たくさんのお味噌汁、 スモークトエンジェルフィッシュ、いろいろです! 落ち込んだ時、そしてその落ち込みから這い上がりたい時には、どんなに面倒くさくても、自分に鞭を打つ気持ちで、私はこれを繰り返します。 そうすると、いつの間にか、私はまた明日に向かってがんばろう、という気持ちが出てくるのです。 単純すぎるでしょうか?でも、皆さんも試してみてくださいね。私はこれで何とか、辛い時もがんばってきています。 そして、まだまだ大変な生活が続いている皆さん、普段の生活をするのさえ難しいですよね。でも、きっと、また何でもないことのように、お米を研ぎ、野菜を洗い、魚やお肉を料理する毎日がやってきます。 きっと、きっと、やってきますから、どうぞ、希望を捨てずに毎日を送ってくださいますよう。
by yoshimuramineko
| 2011-04-12 18:04
| 萱葺きの家から
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