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今回、ダーバンを離れたのは、夫が亡くなったあと、とにかく無我夢中で前進してきた私たちを、「がんばったね」と骨休めさせたいなぁ、と思ったのでした。
その行き先は、私の米国にいるもう一つの家族、ネイス(Nase)一家 の待つオレゴンにしました。 このネイス家は、私が米国に留学した最初の年から、まさに、私の米国の家族として、私の人生の様々な場面で寄り添ってきてくれているのです。 私たちの結婚式はもちろんのこと、子どもの誕生日や進学などと言った節目には彼らが一緒に祝ってくれたり、贈り物を届けてくれたりしました。 また、私も彼らの家族の一員として、彼らが新しいパートナーを迎えれば、そのお祝いに駆けつけたり、子どもたちの成長を共に祝ったりしてきました。 そして、私の実の両親とも仲がよかったので、母が存命だったころ、母は彼らをオレゴンに訪ねることを一番の楽しみにしていました。 その母が亡くなったいま、私にとって、べバリーはまさに母同然の人なのです。 彼女はパーキンソン氏病を患っているため、飛行機での長旅が苦手です。ですから、夫のお葬式には来ることができず、彼らはたいそうそのことでも心を痛めてくれていたのでした。 「オレゴンに来なさい」 と、お父さんのジョージにも言ってもらったので、意を決して、ほぼ一カ月の長い休暇をとり、ロンドンを経由して米国オレゴンにやってきたのでした。 来てよかった、といまつくづく感じています。 ダーバンにいると、やはり年齢のせいもあり、私は知らず知らずに“皆のお母さん”的存在になっています。それはそれでいいのですが、やはりたまには誰かに甘えたり、寄り掛かったり、甘やかしてもらうのは、嬉しいものですね。 ジョージとべバリーは、自分の子どもが三人、一番の上の息子のブラッドは独身なのですが、二番目の息子のスティーブは三人の子ども、末娘のブリンダには子どもが二人、そこに我が家の二人が入ると、総勢で15人、いえ、スティーブの上の息子が結婚して奥さんがいるので、総勢16名で家族勢ぞろい、ということになります。しかも、数年前から、スティーブの奥さんのお母さんが近くに越してきたため、今回は私たちを入れて17名のグループとなりました。 クリスマスの前日からこの17名が場所を変えて集まり、楽しい時間を過ごしました。 クリスマスイブは、スティーブの家での夕飯。この日は、大きな骨付きハムやら、この一家はスウェーデンからの移民なので、スウェーデンのクリスマスの伝統料理、Lutefisk と呼ばれるタラの料理を楽しみました。 ちなみに、この16名中、この Lutefisk を好んで食べるのは、お父さんのジョージと私のみ! 孫たちからは、 「ねえねえ、いったいいくらでじいちゃんから買収されたの?」 などとからかわれる始末でした。 これは、タラを乾燥させたものを水に戻して再加熱して食するもので、日本人でなくても、魚が好きであれば、けっこういけるお味です。 クリスマス当日は、朝はお決まりの Swedish Tea Rings と呼ばれるペーストリーとスフレ、スモークサーモン、フルーツなどを軽く食べます。その後、それぞれの名前の書いてあるクリスマスストッキングやクリスマスツリーの下に置かれていたプレゼントを開け、クリスマスを楽しみます。夕飯はこの一家はお決まりのローストビーフでした。 クリスマスは何と言っても、家族が集い、昔話に花を咲かせ、子どもたちの成長を喜び、いつものようには食べ過ぎ飲み過ぎを気にせず、懐かしい家族の味を堪能し、散歩に出かけ、となんでもないことをお馴染みの家族ですることに意義があるのだと思います。 思えば、私が彼らの家族に入れてもらってからの年月もあっという間だったような気がします。 当初は、“刺身”、“寿司”に嫌悪感を抱いていた私の“弟妹”たちも、いまでは、自分たちから、それらを催促するようにさえなりました。 この一家に日本食の美味しさを伝えたのは私です。 そこで、クリスマスの次の晩は皆のリクエストに応えて、トンカツ、カキフライ、キュウリの酢の物、ホウレンソウのサラダ、巻き寿司、といった日本食を作りました。 トンカツなんて、あまり伝統的な日本料理ではないのですが、やはりこれは現代版の日本のオフクロ味なのでしょう。我が家の子どもたちもルンルンの笑顔でした。 さて、でも、こんなご馳走の山の中、私の心に一番染みたのは、“オレンジジュース”でした。 オレンジジュース、そうです、他の人から見ればなんの変哲もないオレンジジュースです。 でも、ネイス家のオレンジジュースは特別なのです。 それは、お父さん、いえ、今ではおじいちゃんのジョージが、毎朝、「今朝は何人いるかな」と考えながら、手作業で一人一人分を絞ってくれるとっても新鮮なオレンジジュースだからです。 私の母も、オレゴンに来る度に、このジョージのオレンジジュースを楽しみにしていました。 搾りたてのオレンジジュースには、ジョージの皆を思う気持ちが詰まっていて、久しぶりにこの一家を訪ね、朝、このずらりと並んだオレンジジュースをみると、ぐっと胸に迫るものがあります。 「ああ、ちょっと長く留守にしちゃったな。でも、帰ってきてよかった」 というような感覚でしょうか。 人間の暮らしの中で、繰り返し、繰り返し営まれる些細なことの中に詰まっている、暖かくて確かな、そして揺らぎのない“思い”が、このオレンジジュースに息づいています。 「おかえり」 「ただいま」 という、言葉を交わす人が地球の裏側に待っていてくれる私は何という幸せものでしょう。 カンジ・ショウコにとっても、ジョージとべバリーは米国の祖父母です。人とのつながりは、努力と、そして相手への思いやりで、どんなに距離が離れていても、長く、長く続いていけるのだ、ということを理解してもらえたらいいなぁ、と思っています。 皆さま、今年はこれが最終の更新です。次回の更新は一回お休みをいただいて、帰国したダーバンからお届けする予定です。 皆さま、よいお年をお迎えください。 2011年もよろしくお願い申し上げます。 ****************** 空色庵も更新しました。「行く年くる年スペシャル」です。どうぞ、お読みくださいね。
by yoshimuramineko
| 2010-12-28 11:12
| 吉村家、アフリカを離れると……!
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