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ワールドカップ、日本代表も、いよいよベスト16も決まり、はらはらどきどきの展開になってきましたね。
南アは、今回はコーチと選手との不仲でチーム全体としてはかなり最悪の状態だったフランス代表には勝ったものの、ベスト16には残れませんでした。でも、まだまだ人種棲み分けが存在する南アで、ここまで国民が一緒になって“BOYS!―バファナ・バファナ”を応援してきたのは、私にとって、とっても、とっても嬉しいことでした。 また、ダーバンの美しいスタジアムに行って感じた事なのですが、観客たちも本当にフレンドリーなのです。勝っても負けても、帰途に着くころには、会場全体が選手たちへの感謝にあふれているのです。 さて、今日は、このワールドカップがあったからこそお知り合いになれた人々のことをお話ししましょう。 実は、アフリカに住んでいると、日本の様々なメディアから、ラジオやテレビの出演を頼まれたり、また裏方として、旅番組やドキュメンタリー番組のコーディネイトといったお仕事もいただいたりすることがあります。 海外でのコーディネイトの仕事とは、撮影クルーや取材班のためにインタビューのアポを取ったり、場所の確認や使用許可、人材を探したり、はたまた車の手配、ホテルの予約などなど多岐に渡ります。運転手を務めることだってありますよ。これは、現地に住む人間であるからこそできることでしょう。 私は、主に通訳の仕事を引き受けることが多いのですが、たまにはこういったコーディネイトのお仕事もさせていただきます。 そんな中、知人を通してタンザニア在住の日本人からコンタクトがありました。その人は野田健太郎さん。普段はタンザニアでガイドの仕事をしていらっしゃいます。今回のワールドカップでは、あるテレビ局の報道番組のため、1か月以上コーディネイターとして南アに滞在し、下調べから実際の放送に関わる、ということでした。 野田さんのダーバンでの下調べ、実は日本とオランダ戦の特集で、ダーバンでオランダ人のコミュニティを探し出すミッションがあったのです。ダーバンはどちらかといえば、英国系、インド系の移民が多い土地柄です。オランダ人コミュニティとはあまり聞いたことがありませんでした。 が、土地勘を生かしていろいろな場所を探して、試合当日多くのオランダ人が集まって試合を観戦するパブを見つけ出しました。 そのコミュニティを探し回っているときに、私たちが以前よく通っていたピザレストランのオーナー一家と再会しました。なんでも騙されてレストランを乗っ取られてしまった、というではないですか。 このレストランは私たちが移住した最初のころ近所にあったもので、ピザの宅配もオーナーがするような気楽なレストランでした。ショウコがこのオーナーになかなか学校で友達ができないことを涙ながらに訴えたり、カンジが初めてのアルバイトで得た収入で家族に夕飯をご馳走する場所はここしかない!と決めたり、家族の節目には必ず登場してきたレストランだったのです。 その話の中、夫の死のこともお話しました。すると、涙を流しながら夫の思い出も語ってくれました。そして、私に、「大丈夫、私たちもつらかったけれど、子どもたちが救ってくれた。あなたにもこんなに立派な息子さんたちがいるじゃない」と励ましてくれました。 うん?息子たち? そうです。一緒にいたこの野田さんもすっかり私の息子に間違えられていたのです。 そうかぁ、とすっかり感心してしまいました。 とすると、ケニア在住のフリーのカメラマン、千葉康由さん。 千葉さんもワールドカップのために南アで取材中。ご縁があって、家にも来ていただきました。彼の狙っている映像を探すお手伝いもさせていただきました。 野田さんが“息子”に見えるということは、きっと、この千葉さんも私の息子に見えるのでしょう! そして、この人、マイク・フォーラ・ドクンム(Mike.Fola Dokunmu )さん。 彼は、日本人初の南アのプロサッカー選手、村上範和さんのエージェントです。村上さんは、09年7月からプラチナム・スターズでプレイしています。 マイクさんとは、この村上さんが、ある日本のテレビ番組に出演する際、私は日本のテレビ局の意向を受けて、彼と条件やら映像の貸出などの交渉をさせていただいたのです。 この仕事は思いのほか手間取り、交渉は3月から6月までかかりました。その間、毎日のようにメールでやり取りをする中で、マイクさんと私は親しくなっていきました。 こういった仕事のご縁とは不思議なものです。 メールだけのやり取りでもその人のビジネスマナーであったり、仕事への姿勢であったりが、かなりよくわかります。 マイクさんはナイジェリア人。私たち夫婦は西アフリカのリベリアで4年間暮らしたことがあり、西アフリカは私にとってとっても大切な地域なのです。 仕事が終わるころには、マイクさんと私はお互いの個人的なことも話すような関係になっていました。 今回、マイクさんがダーバンにナイジェリアと韓国の試合を見に来ることになり、そのついでに我が家にも来ていただきました。手巻きずしを3〜4人前がんがん食べていきました。 で、彼の見事な食べっぷりを嬉しく見ながら、私は、こんなことを考えました。 「ふ〜ん、きっと、マイクも私の息子に見えるんだろうなぁ」 彼らが帰宅したあと、これを子どもたちに言うと、大笑いされました。 「お母さん、おかしい!だって、マイクはナイジェリア人だよ!お母さんの子どもに間違えられるわけないじゃない!」 そうでしたね〜。私はどう見ても日本人、彼も生粋のナイジェリア人でした。 それにしても、このごろ、自分の年齢が高くなってきて、会う人がほとんど自分よりも年下なのにはあらためてびっくりします。 でも、こういった志の高い、独立した、そして人脈を大切にする若い“息子たち”と一緒にアフリカで何らかの仕事をさせていただくのは、とっても素敵なことですね。
by yoshimuramineko
| 2010-06-29 14:06
| 2010年ワールドカップ
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