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日本戦、応援に行ってきました!
この試合の前後数日間、ダーバンの街は、オレンジ色のオランダサポートに埋め尽くされていました。前日のビーチフロントなども、オレンジの集団がわさわさと動いていました。 日本からのサポーターの方も大勢ダーバンに来始めているとはいえ、オランダはヨーロッパ。飛行機に乗れば、一日でダーバンに来ることができます。日本からは最短の道を使ったとしても、一日半……。 でも、ダーバン在留日本人ももちろんのこと、ヨハネスブルグからもバス二台貸し切りで、応援に来ていました。 数は圧倒的に負けるかもしれないけれど、それでもサムライ・ブルーのユニフォームを着こんだ日本のサポーターの応援は熱が入っていましたよ。 私はサッカーの技術的なことなど、まったく詳しくないのですが、それでも強豪のオランダに対して、ものすごくがんばっていたのではないでしょうか。今週のデンマーク戦に期待をつないでいます。 さて、今日は、この試合観戦がらみで、我が家の庭師をしてくれているルーカスのことをご紹介しましょう。ルーカスは我が家のスタッフ、プレシャスの弟です。 彼は、大のサッカーファン!今回のワールドカップも彼にとっては本当に心躍るものなのです。そして、その彼も日本対オランダ戦に行くことができたのです。 実は、私のニューヨークの妹、渡辺葉ちゃんの紹介で、日本のサポーターの方と知り合いになりました。その方が、お友達のお母様の名前で取ったチケットが一枚余っているので、それを私にくださる、と言ってくださったのです。 このチケットを誰にあげようか、と、最初、私はかなり悩みました。 だって、まず、サッカーを好きな人間はたくさんいるのです。本当にたくさん!つい先日ご紹介したアントン君のことだって、頭によぎりました。彼がどんなに喜ぶか、想像するだけで胸が痛くなるほどです。 でも、ワールドカップのチケットは高いし、つい最近まで、お店などで販売が開始されるまでは、インターネットやクレジットカードがないとチケットの購入さえできない、という極めて、アフリカの大多数のサッカーファンを無視しているかのようなチケット販売戦略をFIFAは取っていたのです。 ルーカスだって、私たちのところで働いていて、銀行口座はもっているものの、インターネットやクレジットカードは使いません。 それに、試合に行く、ということは複雑怪奇になっている会場までのアクセスを調べたり、当日、普段の倍はするであろうスタジアムの中での食事代のことなどを心配したり、ということを考え始めると、多くの人は、「テレビで見るよ」とうなだれていたのです。 そこにこのありがたいチケットのお話しです。 実は、ルーカスにとってもこの1年はかなり厳しい年でした。去年の9月、彼との間に子どもを一人もうけているガールフレンドが、インフルエンザで急死したのです。 南アの法律は、結婚していないカップルの間に生まれた子どもは、その母親が死亡した場合、自動的に親権がその死亡した母親の母、つまり、子どもにとっては母方の祖母に移ります。その後、父親がその子どもを引き取りたい場合は、裁判所に親権を申請する手続きをしなくてはいけません。 ルーカスは、自分の子どもを引き取りたい、という希望を申し出て、何回も何回も、このおばあちゃんの元に通いました。 ところが、祖母側は毎回、なんらかの理由をつけて、子どもの親権を渡す書類にサインをしません。 何が問題なのかというと、彼ら、ズール族の習慣で、結婚しようとするカップルは、男性が女性側の両親に、かなりの金額の結納金を納めなくてはいけないのです。ルーカスとこの女性が結婚していなかったのも、ルーカスはまだこの結納金を払い終わっていなかったからなのです。 つまり、祖母側は、ルーカスにこの結納金の支払いを求めていたのです。 これを批判するのは簡単なのですが、文化の培ってきた伝統、習慣というものは、その悪しき良き、といった判断をするのは部外者がしても、何の解決にもなりません、当事者同士が年月をかけて解決していくしかないのです。 相談を受けていた私は、彼らの要求していた、日本円にすると15万円ほどのお金の半額を最初に払い、あとは何年か後にまた相談する、という提案をしました。ルーカスはそんな現金を蓄えてはいなので、私からのローンとし、毎月のお給料から月々支払う、ということになりました。 そして、ここからがまたギリギリと歯をかむような展開になってしまったのです。ルーカス側の親戚も同席したこの現金の受け渡し時に、祖母側は現金を受け取ったものの、領収書にサインするのを拒み、子どもの引き渡しも拒否しました。 この展開を聞いた私は自分の耳が信じられませんでした。 でも、ルーカスは静かに、「いつか必ずルラマはボクが引き取るから」と言いました。 私たちのような“契約”、といった概念に縛られていると、彼のこの信念は根拠のないように思えますが、これはアフリカの“信義”に基づいた行動なのでしょう。現金を渡した、という事実は残る、という“現実”が、彼を支えているようでした。 それでも、その後、何回もの交渉を経て、ルラマはルーカスの元に引き取られました。最初の週末は、彼女のリクエストでダーバンのビーチへ行きました。どれだけ嬉しかったことでしょう。 ところが、ルーカスの元に来てまだ3週間しか経っていないころ、祖母側の親族が二人、ルーカスが働いている留守の時間帯にいきなり訪れ、泣いていやがるルラマをさらうように連れ去ってしまったのです。 先進国であれば、誘拐に当たると思います。 が、ここはまだまだ昔からの習慣もものを言う南アです。 いまルーカスと私たちは毎日のように彼らの地域の福祉事務所に働きかけ、この状況を何とかしようと努力しています。 お父さんのところにいたい、という4歳のルラマにまた笑顔で彼らの元に帰ってこられるように。 実は南アの社会で、この“結納金”の仕組みを逆手にとって、子どもたちのことを放置する無責任な男性がどれだけ多いことか。私はHIV/Aids の患者さんたちとのお付き合いの中で実体験しています。 その中、父親が一人で自分の子どもを育てたい、と申し出ること自体、ものすごく珍しいことなのです。祖母方の親戚の中には、ルーカスに親権をもってもらうべきだ、という人もいるようです。 どうやらアル中らしいルラマのお祖母ちゃん。私はこのことを考え始めると、いてもたってもいられなくなるのですが、私よりも誰よりも辛いのはルーカスでしょう。 だからこそ、彼の大好きなサッカーの、しかもこのワールドカップのチケットは、彼のこれまでの働きぶりと、ルラマに対する責任感へのせめてもの贈り物になるかな、と思ったのです。 普段はとっても静かなルーカス。でも、南アに来たばかりの“にわかブブゼラ奏者”の情けない音を聞くたびに、ショウコやカンジが、「ルーカス!」と叫ぶと、ルーカルは、アフリカの大きな空の下に朗々と響き渡る大きなゾウのいななきを再現して、周囲から「おおお〜」と感心されていました。 ルーカスにとって、やりきれないことの連続の毎日の中で、この試合観戦はどれだけの気分転換になったことでしょう。 上杉さん、塚田さん、チケットを本当にありがとうございました。皆さんのご親切が南アの一人の若い男性の、“一生ものの思い出”になりました。
by yoshimuramineko
| 2010-06-22 14:06
| 2010年ワールドカップ
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