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南アフリカのターボ・ムベキ大統領が任期を約7ケ月残し、退陣することになりました。
先週のブログでお伝えしたとおり、南アの高等裁判所が、与党ANCの代表、ジェイコブ・ズマ氏の武器不正取引に関する訴追において、手続き上の不備と、政治的圧力があった可能性がある、との理由で訴追そのものが“無効”である、という判決を出してから、南アの政治が一挙に不安定になっていたのです。 そして、9月19日、ANC は党として、ムベキ大統領に大統領職を辞任するよう勧告し、ムベキ氏もこれを承諾したのでした。ただ、現在、国会議員の資格のないズマ氏はすぐに南アの大統領にはなれません。来年の4月の総選挙まで、ANC の副代表モトランテ氏(ズマ氏の側近)が暫定的な大統領に就任することになりました。 さて、そもそも、このズマ氏とムベキ氏、偶然にも同じ年齢(66歳)のこの二人、かねてより、犬猿の仲だったようです。 先週ズマ氏のことを書いたので、今週はまず、ムベキ氏から。 ムベキ氏も自由のための闘士であることはズマ氏と同じで、彼も弱冠14歳からANCのユースリーグという若い人たちの政治組織に所属し、南アの旧白人政権の人種隔離政策を打倒するための政治家の道まっしぐらの人でした。 ムベキ氏は、エリート政治家として、「将来のリーダー」というANCの期待を一身に受け、1960年代は英国で勉学に励んでいたのです。ロンドン大学経済学部学士号、サセックス大学経済学修士号も取得しています。夫人のザネレ・ムベキ氏は、米国で教育を受けたソーシャル・ワーカーで、ケニアやザンビアの国連難民高等弁務官事務所で勤務したこともあります。 政治家として、ムベキ氏はネルソン・マンデラ氏が27年間の投獄を解かれ、政界に復帰する話し合いの過程にも深くかかわりました。その後、新しい国家の建設に力を注いだマンデラ氏の元、副大統領として実際的な国務は彼が担当し、マンデラ氏が大統領職を一期で退任したあとは、民主的選挙の元の第二代大統領として職務についていました。 しかし、エリート色が強い彼は、民衆からは遠い存在だったようです。 残念ながら、発展途上のアフリカでは、まだ多くの人々が、「この政治家は私たちに“何”を持ってきてくれるんだろう」という“物差し”が、政治家の有能・無能ぶりを決定してしまうようなところが残されています。 ダーバンのビジネスコミュニティなども、「○○氏は、大きな工場建設を地元の業者で落札できるようきちんと裏で動いてくれる」などという“評判”がまかり通ります。 ですから、外国で彼がどんな動きをしようと、今回のジンバブウエでの彼の仲介者としての動きなどがどれだけ国際社会で評価されようと、国内の選挙民が、明日の仕事の確保が難しい状態にある中で、なかなかその政治家の全体像を正当に評価するのはかなり難しいのが現実です。 私は個人的には、ムベキ大統領が1990年代から提唱している『アフリカ・ルネッサンス』という考え方が好きでした。「援助の対象であり続ける、“悲惨なアフリカ”の状態を抜け出して、生活向上のみならず人間の尊厳の向上を目指すためには、アフリカが自ら再生の道を目指すべき」という彼の主張に感動もし、共感もしていました。 ただ、彼のHIV/Aids の政策には首を傾げることも多かったのです。彼のHIVへの偏見というよりも無知が、多くの患者を見捨てることにつながっていったのも事実です。 彼はこの他、「アフリカのために何ができるか」ではなく「着実に前進し始めたアフリカとどう付き合うか、ほかの途上地域にアフリカを参考にさせるには何が必要か」を考えるべき時に来ている、とも主張していました。 でも、確かに、これは外向きの姿勢です。 民衆政治のカリスマ的存在であるジェイコブ・ズマ氏が、ムベキ氏のその外向きの姿勢を自分へのアピールに猛烈に使ったのです。 さて、前回でもお伝えしましたが、このズマ氏、個人的な感覚としては、「うわ〜、ちょっと勘弁してほしい」というのが正直なところです。 特に私が違和感を覚えたのは、2005年のレイプ事件の際、彼は公の場で、「彼女がHIV感染者だったことは知っていたが、コンド−ムは使用しなかった、あとで、シャワーで流した……」と発言したことです。 性交渉が文化によって、かなりその認識に差があるのは重々承知しています。でも、この発言は許せないと思いました。 でも、知人などで、彼に直接会ったことがある人は、口を揃えて、「彼はとってもいい人」と言います。「彼は嘘をつかない」とも。確かに、レイプ事件などでも、“嘘”はついていないのですが……。 しかし、「いい人」という評価自体がかなり主観的なものです。彼の国のリーダーとしての資質に疑問を持ち、南アから移住する白人系南ア人が後を絶たないのも現実です。 テレビなどで流されている彼の今回の動きのコメントもかなり強引でした。ジャーナリストから、武器汚職のことを聞かれて、「南アの憲法では、罪が確定するまで、どんな人も無罪です」と言い切ります。 しかし、こういった汚職を取りざたされていること自体が問題なのだと思うのですが……。それに、ズマ氏へ賄賂を贈った側のビジネスマンの有罪が裁判で確定して、刑に服していることもあり、なかなかこの強気の発言も無理があると思うのです。 9月21日のムベキ大統領の辞任のスピーチの中で、英語としておもしろい表現がありました。彼は、「私はいままで、ANCの忠実なメンバーでした」と、忠実であった、と過去形を使って表現したのです。50年来のメンバーであることを強調しながら、これからもメンバーであることを続けるために、この辞任を受け入れる、との意志表明でした。 が、この“忠実であった”、英語の元の表現は、”I was a loyal member of ANC.”です。 私はこの過去形が気になっていましたが、その理由が、次の日理解できました。 ムベキ氏が、ズマ氏の訴追が無効とされた裁判所の判断を上訴するメンバーの一員に加わった、というニュースが流れてきたのです。ムベキ氏は、その判断の中で指摘された政治的介入をこの辞任のスピーチでもきっぱり否定しています。 これは、自分を解任したANCへの挑戦にもなります。そうだからこそ、日曜日のスピーチの中の、“忠実であった”、という過去形が意味を持つのです。 遠く離れたアフリカでの政治の駆け引きですが、アフリカの最大の経済大国・南アフリカの政情不安はかならず日本にも思いがけない形で影響を与えます。 世界がいかにつながっているか、ということを実感するためにも、どうか、興味を持ち続けてください。
by yoshimuramineko
| 2008-09-24 02:09
| アフリカの政治
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